魂も彷徨う出来事
避難
みなさんようこそ
週末の外出自粛による「巣ごもり」はいかがでしょうか?
私は幸いと申しましょうか「JRA日本中央競馬会」の開催が無観客で行われていますのでそれを観ながら、またテレビなどをパチパチと変えながら観て過ごしています。
夕方のニュースまでは音楽を聴いたり、YouTubeもチェックしようかとも思っています。
そんなこんなしていたら、且つて少しの期間在籍した企業の親しくしていた方からメールがありました。
その企業は葬儀も取り扱っていて、その方は現在、葬祭部に在籍しているそうですが、このコロナ騒動で葬儀もかなり規模が縮小されていて商売にならないそうです。
今は感染を恐れて「家族葬」(※本当に身内だけ)か「通称かのみ」(※通夜も告別式も無いお坊さんのお経と火葬のみ)だけだそうです。
一般の方の会葬のある「一般葬」は皆無だそうです。
これも愛媛県で葬儀に参列してクラスターを生んでしまった事も大きく影響しているし、何せ三密を避ける自粛がそうさせているのでしょう。
本当に多岐にわたる職種でコロナの影響が出ているのだなぁ~と改めて痛感しました。
で、皆さんは葬儀(通夜・告別式)に喪主やお手伝いなどの経験も含めて参列したことが一度はあると思います。
しかし何で葬儀というものがあるかはご存じですか?
これには簡単に言うと二つの理由があります。
一つ目は「広く故人が他界したことを知らしめる」という意味。
二つ目は「故人に自らが死んだ(現世での旅を終えた)ことを理解させるため」です。
一つ目の方は皆さんもご存じの通り昨今、家族葬が主流になってきていることは言うまでもないと思います。
問題は二つ目なのです。
我々は本来、魂の存在であり、命(生きる)というのは肉体という魂の着ぐるみ(乗り物)を借りて、この世で魂を成長させるための経験と感動(喜怒哀楽)を積む旅をすることをさします。
その肉体(例えれば着ぐるみや車)が破れたり故障することが病気になるということなのです。
ですから今回の新型コロナウイルス「COVID-19」に感染して苦しむということは、魂の仮の姿の肉体が苦しいということで、死を迎えると同時に肉体と魂をつないでいた「シルバーコード」というものが切れるので病気による肉体の苦痛はまったくなくなります。
そして魂の乗り物(着ぐるみや車)と離れたので自らの魂は宙に浮いた状態になり、死んだ自分の姿を空中から俯瞰で見ているのです。
そこの魂の居場所を幽限界と言います。
しばらくの時間はその幽限界という魂の階層に留まり客観的に自らの肉体の亡骸を見ているので、病院で家族が看取って泣き崩れていたり、悲しんでいる様子を見て、多くの場合はそこで自分の死をほぼ理解します。
その後、葬儀が執り行われて、その様子を俯瞰で見て、そこで本当に死んだ(現世の旅を終えた)のだと自覚して、仏教では四十九日位を目安に魂の次の階層の幽界に行く準備をするのが一般的です。
しかし二つ目が問題だと言ったのは、今現在、世界で起こっている現実は新型コロナウイルス「COVID-19」で亡くなると感染の恐れがあるために家族も最期のお別れが出来ずに霊安室に置かれ、順次、埋葬か火葬されて行きます。
要は孤独死と同じ状態なのです。
これだと自らが死んだのだという自覚を持てない魂が多く出てしまう恐れがあるということです。
すればその魂は浮遊霊として現界(この世)と幽限界(あの世の手前)で彷徨って行き場を失ってしまうということになるのです。
こんな悲しいことはありません。
せっかく神様に許され学びの課題を持って生まれてきたのに、本来の魂の居場所(霊界)に還ることができないのですから、ある意味、生きていたころの肉体の苦痛よりも苦しいのかもしれません。
このようにスピリチュアル(霊的真理)の視点からみても、今、世界で起こっている出来事は言葉では言いあらわせないほどとんでもない事なのです。
ですから何度でも繰り返し記しておきます。
皆さん必ず生き抜いて下さい。
今は耐えて耐えて耐え抜いて生きましょう。
そしてまた大声で笑える日を迎えようではありませんか。



週末の外出自粛による「巣ごもり」はいかがでしょうか?
私は幸いと申しましょうか「JRA日本中央競馬会」の開催が無観客で行われていますのでそれを観ながら、またテレビなどをパチパチと変えながら観て過ごしています。
夕方のニュースまでは音楽を聴いたり、YouTubeもチェックしようかとも思っています。
そんなこんなしていたら、且つて少しの期間在籍した企業の親しくしていた方からメールがありました。
その企業は葬儀も取り扱っていて、その方は現在、葬祭部に在籍しているそうですが、このコロナ騒動で葬儀もかなり規模が縮小されていて商売にならないそうです。
今は感染を恐れて「家族葬」(※本当に身内だけ)か「通称かのみ」(※通夜も告別式も無いお坊さんのお経と火葬のみ)だけだそうです。
一般の方の会葬のある「一般葬」は皆無だそうです。
これも愛媛県で葬儀に参列してクラスターを生んでしまった事も大きく影響しているし、何せ三密を避ける自粛がそうさせているのでしょう。
本当に多岐にわたる職種でコロナの影響が出ているのだなぁ~と改めて痛感しました。
で、皆さんは葬儀(通夜・告別式)に喪主やお手伝いなどの経験も含めて参列したことが一度はあると思います。
しかし何で葬儀というものがあるかはご存じですか?
これには簡単に言うと二つの理由があります。
一つ目は「広く故人が他界したことを知らしめる」という意味。
二つ目は「故人に自らが死んだ(現世での旅を終えた)ことを理解させるため」です。
一つ目の方は皆さんもご存じの通り昨今、家族葬が主流になってきていることは言うまでもないと思います。
問題は二つ目なのです。
我々は本来、魂の存在であり、命(生きる)というのは肉体という魂の着ぐるみ(乗り物)を借りて、この世で魂を成長させるための経験と感動(喜怒哀楽)を積む旅をすることをさします。
その肉体(例えれば着ぐるみや車)が破れたり故障することが病気になるということなのです。
ですから今回の新型コロナウイルス「COVID-19」に感染して苦しむということは、魂の仮の姿の肉体が苦しいということで、死を迎えると同時に肉体と魂をつないでいた「シルバーコード」というものが切れるので病気による肉体の苦痛はまったくなくなります。
そして魂の乗り物(着ぐるみや車)と離れたので自らの魂は宙に浮いた状態になり、死んだ自分の姿を空中から俯瞰で見ているのです。
そこの魂の居場所を幽限界と言います。
しばらくの時間はその幽限界という魂の階層に留まり客観的に自らの肉体の亡骸を見ているので、病院で家族が看取って泣き崩れていたり、悲しんでいる様子を見て、多くの場合はそこで自分の死をほぼ理解します。
その後、葬儀が執り行われて、その様子を俯瞰で見て、そこで本当に死んだ(現世の旅を終えた)のだと自覚して、仏教では四十九日位を目安に魂の次の階層の幽界に行く準備をするのが一般的です。
しかし二つ目が問題だと言ったのは、今現在、世界で起こっている現実は新型コロナウイルス「COVID-19」で亡くなると感染の恐れがあるために家族も最期のお別れが出来ずに霊安室に置かれ、順次、埋葬か火葬されて行きます。
要は孤独死と同じ状態なのです。
これだと自らが死んだのだという自覚を持てない魂が多く出てしまう恐れがあるということです。
すればその魂は浮遊霊として現界(この世)と幽限界(あの世の手前)で彷徨って行き場を失ってしまうということになるのです。
こんな悲しいことはありません。
せっかく神様に許され学びの課題を持って生まれてきたのに、本来の魂の居場所(霊界)に還ることができないのですから、ある意味、生きていたころの肉体の苦痛よりも苦しいのかもしれません。
このようにスピリチュアル(霊的真理)の視点からみても、今、世界で起こっている出来事は言葉では言いあらわせないほどとんでもない事なのです。
ですから何度でも繰り返し記しておきます。
皆さん必ず生き抜いて下さい。
今は耐えて耐えて耐え抜いて生きましょう。
そしてまた大声で笑える日を迎えようではありませんか。



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