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医療現場を思う

医者との関係
05 /15 2020
みなさんようこそ

昨日、8都道府県を除いて「緊急事態宣言」が解除されました。
残りの地域も状況次第では来週にも解除されるかもしれません。
私はこのブログ記事の中でも過去に「コロナでも死ぬな」「お金でも死ぬな」と書きました。
経済のことを考えると、解除の方向に舵を切ることは致し方ないとは思います。
しかし解除を決して喜べない忘れてはならない人々がいることを肝に銘じておかなくてはなりません。
それは医療の現場で働く医療従事者たちのことです。
地域や病院によっても差はあることは承知しておりますが、ここ3か月余、心も身体も疲弊しながら様々なものを犠牲にしつつ命をはって働いて下さっている方々からみるとこの「緊急事態宣言」解除は喜べることではないのです。
詳細は誰にも分からないことでしょうが、解除後はまた感染者も増えることも予想されますし第二波がやってくるかもしれません。
地域や病院によっては特別手当もなく夏のボーナスも減らされ、まだまだ心無い差別(偏見)にあわれている方も少なくない中、一息つく間もなく働かせられたら心身共に限界だという声が多いのが事実です。
これらの医療従事者(現場)からすれば「緊急事態宣言」解除は早すぎると言うのが本音のようです。
確かに前記しましたが、日本全体の経済面を考えると解除自体は仕方ありません。
でも決して誤解してはならないのは、コロナが無くなったわけでも、大人しくなったわけでもないということです。
今までは日本国民特有の魂で国や自治体の要請に真面目にこたえ自粛生活をし、少しだけ元の生活に戻る前進をしただけの話。
ここで気を緩めてしまえば、元の木阿弥だということです。
ですから「STAY HOME」で頑張っていた時から徐々に生活を変えるにしても、最低限のルール(やるべき事)は守り暮らさなければならないということですよね。
でないと、また感染者が増えた時に今度は病院のベットも人工呼吸器もあるのに、お医者さんや看護師がいないって事態を起こしかねないということを忘れてはならないのです。
新型コロナウイルス「COVID-19」に有効な薬も次々に承認される動きもあります。
ワクチンも半年、一年後にはできるかもしれません。
ですが我々は戦後の高度成長時代から2019年まで暮らしてきたようなものは、もう望めないのかもしれません。
しかし我々人間には知恵(叡知)と工夫というものが備わっています。
ですから、ある意味で2020年は新たな時代の幕開けなのかもしれませんね。
私はそんな風に感じるのです。
どうか皆さんもお身体には十分に気をつけて日々をお過ごしくださいね。

では今日も生かせていただけた事に感謝し一日を終えたいと思います。
ご訪問ありがとうございました。










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父の主治医

医者との関係
04 /16 2020
みなさんようこそ

先程ニュースで政府(安倍首相)が公明党に押し切られる形で、基本国民皆に一律10万円の給付をすることを決めたようですね。
この金額とか時期とか様々ありますが、私は以前からこのブログ記事の中でも書いてきているように政治とは責任を取る事が究極の仕事だと思っています。
これは大中小の規模に関係なく会社組織の代表(上司)にも当てはまると思うのですが、人の代表たる人は決断することと責任を取ること、これが出来るか(するか)否かが最も重要かつ必要な資質だと常々思っています。
私も長年に渡り、会社組織に属し、役職についた時期も長くありました。
その時の経験や体験からも間違った事を言っているとは思いません。
特に苦境に立たされた時にこそ真価が問われる、その対価として地位・名誉・報酬がいただけるわけです。
どうか政治家の皆さん、特に地方自治ではなく国会議員の皆さんにはもう少し頑張って仕事していただかないと報酬の2割削減位では国民は納得しないと自覚していただきたく思います。

さて、この記事では昨日の予告通りに、父が他界すにあたって主治医を務めてくださった特徴的な医師のことを少し書きたいと思います。
現在、医療現場(特に中核から大病院)は戦場と化していると聞きます。
それも容易に想像はつくわけですが、何か問題になっているのは新型コロナウイルス「COVID-19」以外の病気の方さえも危機にあるとされています。
ガン・心臓などの循環器系・脳卒中などの疾患の患者さんの治療もままならずに、救急車に関してはたらい回しまで起きているとか。
そんなことや昨日の通院から父の主治医だった方を想い出しました。
父は64歳で他界したのですが、死因は「肝硬変」による多臓器不全です。
ようは酒の飲みすぎです。
私の父は若い頃は少しの酒量でも酔ってしまってて、年齢を重ねる毎に酒量が増えていったと聞いていました。
私が物心ついた頃には毎日欠かさず晩酌はしていました。
根っからのビール党で毎日、大びんで3本は必ず飲んでましたね。
好きな酒のつまみはマグロのぶつか豆腐か豚足でしたね。
人との飲み会や宴席があると、相当に量は飲んでいたと思います。
そんな父が最初に吐血し救急搬送されたのは61歳の秋頃で、私も仕事中に連絡が入り病院に駆け付けたのを鮮明に覚えています。
その時は救命処置はうまくいき、私が到着した頃には本人と話ができるまで回復していました。
その時に主治医となる医師に初めて出会ったのです。
その医師は中核病院(救急も有)の医院長兼、救命救急で指揮をとっていました。
私が挨拶と状況を伺いに行くとCT画像を診ながらこう言われたのです。
「病名は肝硬変でようは飲みすぎ。今日は運が良かったけど、この先、酒をやめさせないと確実に2~3年で死ぬよ。俺は本当なら、こういう自業自得の患者の主治医は嫌なんだ。そうだろ自分の好き勝手やって死の淵彷徨って救急車で担ぎ込まれて助けて下さいって我が儘過ぎると思わないか?お父さんにもう少し生きて欲しいと思うなら、今後一切、酒を飲ませたらダメだ。次に吐血した時には死ぬ時だと思っていてくれ」です。
私は今より年齢も若く、経験も少なかったのであっけにとられ反論も質問も出来ずに頷くだけでした。
そして様々な経過を経て、約3年後にまた父が吐血し、この主治医いの元へ救急搬送されたのです。
私は連絡を受け病院に向かう道すがら、あぁ~今回はダメだなと覚悟を決めていました。
病院に到着し父の病室に行くと、かろうじて意識がある状態ではありました。
そこにまた例の主治医が来て私をナースステーションに連れて行きこう言ったのです。
「酒飲んだら2~3年で確実に死ぬよって言ったよな。だからこういう患者は診たくないって言うんだ。俺は神様でもなんでもないから無理なものは無理なんだよ。言ってること分かってもらえるかな…」です。
私はそこですべてを悟りました。
それに、このぶっきらぼうで一見するとデリカシーに欠ける医師に嫌悪感等はありませんでした。
それはその言葉の奥に、日々人の生死に向き合って闘っている覚悟みたいなものと愛を感じたからです。
これは私の想像でしかありませんが、その医師は誰よりも人の死を重く受け止めているからこその態度だと思うのです。
私は「分かりました。取り敢えず最期まで宜しくお願い致します。」と頭を下げると、主治医は小さく頷きその場を去りました。
すかさず近くにいた看護師が来て、私に「今後は〇〇先生が担当することになりますので詳しくは〇〇先生から伺って下さい」と告げられました。
今でも家族や親せきが集まると、この医院長先生(主治医)の話題になります。
地域でも口も態度も悪いけど腕は一級品との評判がある医師なのです。
私や私の家族は性格上、こんな医師を嫌いではありませんが、皆さんは身内や自身のことに置き換えたらどうでしょうか?
これは私の個人的な見解ですが、こんな感じじゃないと救命救急で指揮をとって、医院長もしてなんて出来ない芸当なんだと理解しちゃうんですけどね…
今日も生かしていただけた事に感謝し一日を終えたいと思います。
ご訪問ありがとうございました。










師だけある

医者との関係
04 /15 2020
みなさんようこそ

今日は定期通院(薬をもらいに行く)日でした。
もう4週間が経過したのかと感じたのですが、今は病院に行くということに、相当の覚悟と気合が必要となりますね。
私が服用している薬は医師の指示や指導なくして自己判断で勝手に減量や中止してはいけないと強く言われていますので、否が応でも病院に行き処方箋をもらわなければならないので仕方ありません。
そんないつもより少し緊張感が増した状態で病院を訪れたら見事にガラガラでした。
元々、小さなクリニックで昔に比べて患者さんも減ってはきていたのは感じてはいましたが、私の他にはお一人の女性が待合室に座っていただけでした。
受診する身としては時間も短くて済みますし、何より今は新型コロナウイルス「COVID-19」の感染リスクも軽減できるので良いのですが、病院の経営という点においては心配になります。
受付を済ませ待合の椅子に座って間もなく、もう一人の患者さんの薬が用意できた(基本院内処方ですが私の薬は取扱いがないので外部に行く)ようで看護師さんがその方に処方された薬の説明をしている姿と声が入ってきました。
薬の種類を聞いていたら抗生物質に鼻と咳止め、痰を切りやすくする物と解熱剤って言っているのが耳に入ってきました。
そうです、その方はどうやら風邪のようなのです。
このご時世に風邪…
その女性の患者さんはどんな気持ちで来院され、診察を受けたのだろうか…と想像してしまいました。
私は正直、空いていたし距離もとっていましたし、きちんとマスクもしていらっしゃったので怖さは感じませんでした。
でも偉いのは看護師さんです。
当然マスクはしていますが、患者さんに近づき、薬の一つひとつを丁寧に説明されていたのです。
そんな光景を見ていたら私が診察室に呼ばれました。
そこで、おじいちゃん先生(※長くご訪問下さっている方にはおなじみですね)に一か月振りに会い
「どうだ、変わりないか?」ときたので
「先生、一昨日の朝に例の背中の激痛発作がきて今も動くと痛くて辛いです」と言うと
「またきたか。わかってると思うけど気を強く持ってないとダメだぞ負けたらダメだ。あ~またかって思うしかないんだからな。」です。
皆さんが聞くと、一応、精神疾患に分類される患者にそんな対応で良いの?と疑問に感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、それで良いんです。
私に何の治療(投薬・カウンセリング・認知行動療法・バクロ療法等々)も効果が無い事はおじいちゃん先生も私も一致するところだかです。
私は「はい、わかっています。私の修行ですから耐えて耐えて耐え抜きますよ(笑)」と。
おじいちゃん先生は「うん」と頷いて聴診器を置きカルテを書き始めました。
そこで私は話題を顔見知りの看護師さんに振りました。
「さっきの患者さんは風邪みたいだったけど今は怖くないですか?」と。
すると看護師さんは笑って「覚悟してるから大丈夫!それに、この仕事は怖がってたら出来ないし」と。
「確かにそうだけど、先生も含めて偉いなぁ~」
するとおじいちゃん先生が「開けている以上は、よほどの事がなければ診てやらないと大っきな病院も困るだろ」と言いました。
私は二人に「恐れ入りました!」と深々とこうべをたれました。
私は帰りの道すがらその会話を反復し、やはり医師(看護師)というのは本来、聖職であり「先生(師)」と呼ばれる尊い存在なんだよなぁ~と改めて感じたのです。
医師(看護師)とは、ただ病気を診て治すだけではなく、大袈裟ではなく、何か人生を背負っているように今日ほど感じた日はありませんでした。
今は医療崩壊云々が連日しきりに報道(話題)にされますが、このような末端のごく小さな処でもドラマがあり、闘いがあるのだとも感じたのです。
その後に行った薬局では結構混雑していましたが、半数は空いている椅子にも座らずに皆、距離を取って立って順番を待っています。
やはりこんな世の中を一刻も早く脱する必要があります。
辛い症状は耐えられても「他人を見たらコロナと疑え」なんて世の中は私は耐えられません。
どうか皆で力を合わせて、この危機を乗り越えて人々から笑顔を取り戻しましょう。
で最後に予告として、今日の出来事を受けて私の父が他界するにあたっても個性的な医師に出くわしていたので、明日はその方を記事に書いてみようかと思っています。
では今日も生かせていただけた事に感謝し一日を終えたいと存じます。
皆さんの明日が今日より善いと思える日になることを願って終わりとします。
ご訪問ありがとうございました。










カルマと病院

医者との関係
03 /18 2020
みなさんようこそ

今回の記事のはじめに、先日、このブログの中で久しぶりに怒りの感情がわいたとの内容で書き込みをして公開をした、愛知県蒲郡の50代男性が死亡したとの報を知りました。
これは今回の新型コロナウイルス「COVID-19」に感染しているにもかかわらず家族に「コロナを移してきてやる」と言い残し、飲食店などに行き、本当に感染者を出してしまったというものです。
そこで私はこの行動に関して強い憤りを覚え、法でも裁かれるであろうが、何より人としてカルマ(罪)に対する大いなる代償を払うことになるだろうと書いたわけです。
報道によると持病をお持ちであったとのことですが、この人がこんなにも早く今世での旅(学び)を終了させるとは思ってはいませんでした。
私はこの人に対し「罰が当たったんだ、ざまぁみろ」とか「だから言っただろ」とかという事は言いません。
起きた結果は自分自身で選んだ運命ですから。
ただこのことから大いに教訓(学び)となる事があると思っています。
この人がとった行動は確信犯であるが故に罪が重いと言ったのですが、我々一人ひとりも病原菌の感染源になる可能性があるので十分に注意する必要があると認識すべきなのです。
PCR検査で陽性と診断されていれば明確に新型コロナウイルス「COVID-19」とわかりますが、軽症もしくは無症状で行動し感染源になることは避けなくてはなりません。
だからと言って、無理に行動を抑制し過ぎるのも違うと思います。
では何が言いたいのかというと、人は誰しも社会全体、今世に共に生きる人々に大いなる責任を持っているということを自覚し直さないといけないということです。
私は他人に迷惑を掛けてないし一人で生きていますみたいな方をたまに見かけますが、いやいやとんでもない!
山にこもって自給自足で生活でもしていればそうなのかもしれませんが、何らかの形で文明の利器を利用したり、コミュニティを受けていれば、それはやはり責任というものが発生するのだと思います。
なのでこの機会にもう一度、人は一人で生きているのではないし、生かされているということを認識したいと思うのです。

で、話変わりまして、今日は定期通院日だったので病院に行って来ました。
どんな状況になっているのかと思いながら行くとガラガラでした。
長くこのブログにお付き合いくださっている方にはおなじみのおじいちゃん先生のクリニックは内科・小児科が専門です。
(*私は古くからの付き合いと、大学病院の判断からこのクリニックに無理を言ってお世話になっている)
おじいちゃん先生は相変わらずな語り口で
「もう一か月経ったか?変わりないか?」と淡々と診察をはじめました。
私は大した変化がないことと花粉症が辛いことくらいを伝えるに止めました。
そして馴染みの看護師さんも加わり今のご時世の話になったのです。
そこで私は聞いてみました
「どうですか、ここも何か影響や変わりはありますか?」と聞くと看護師さんからは
「随分と患者さんは少ないわよ」
おじいちゃん先生は
「病院に来ると移ると思うんだろうし、こんな小さな所じゃ診断できないと思ってるんだろ」と。
看護師さんは間髪入れずに
「でも本当に来られても普段は防護服もシールドも使わないから困るわよね。それに皆、熱がある時は電話してくるから相談センターに回すのよ」と。
おじいちゃん先生は
「このままじゃぁ商売にならないからつぶれるかもな」と笑っていました。

このようなやり取りは冷静に考えると冗談ではなく、違った意味での医療崩壊を招く危険性があるなぁ~と感じました。
日本でも感染者が爆発的に増えるような事が起きれば、武漢やイタリアで起きているような医療崩壊が発生するでしょう。
しかし小さなクリニックや体力のない病院は今後どうなっていくのだろうと考えてしまいます。
この私が診てもらっている、おじいちゃん先生のクリニックは隣に大きな介護施設を抱え指定病院にもなっていますので無くなる事はないにしても経営が圧迫させることは間違いありません。
とにかく爆発的に感染者を出すような事態だけは避けて、一刻も早いワクチンや特効薬の開発(発見)が待たれるところです。
我々はまだまだこの先、難題に直面するでしょうし、様々な我慢や忍耐を強いられるとは思いますが、皆で力と知恵を出し合って頑張っていきましょうね。








手のひら返しじゃ浮かばれない

医者との関係
02 /08 2020
みなさんようこそ

こんな記事があることをご承知でしょうか?

新型肺炎のまん延にいち早く警鐘を鳴らしながら、中国当局から「デマを流した」として訓戒処分を受けた武漢市の医師、李文亮さん(33)が7日(日本時間4時)ごろに新型肺炎のために死去した。
李さんはウイルス感染の疑いで1月12日に入院。2月1日に感染したことをSNSで明らかにし、呼吸器を付けた写真を公開していた。
中国では「英雄を失った」と悼む声が広がっているという。
武漢市中心病院の眼科医・李さんは昨年12月30日に「武漢市内の海鮮市場で7人から重症急性呼吸器症候群(SARS)の陽性反応が出た」と医師仲間ら約150人が参加するグループチャットで発信した。
この時点で公表しなかった市当局は、ネットで情報が拡散すると、翌31日になって「27人がウイルス性肺炎を発症した。現時点で原因は不明」と発表。
しかし公安当局は1月1日「デマを流し社会に悪影響を与えた。秩序を乱す行為は許されない」と李さんら8人を摘発したと発表。1月3日訓戒処分にした。
李さんは1月10日ごろ発熱などの症状が表れ、12日に入院した。
人から人への感染を指摘したが、当局は20日まで否定。李さんは取材に「警鐘を鳴らそうとしただけで、社会にパニックを起こそうなどとは全く考えていない」と答えていた。
世界保健機関(WHO)は「新型肺炎への取組をたたえる」とツイートし追悼した。
中国の短文投稿サイト(ウエイボ)には悼む声とともに、当局への怒りのコメントであふれているという。
国民の怒りを抑えるためか、湖北省や市当局は一転し李さんを称賛。国家監察委員会も「李医師に関わる問題」を調査すると発表した。

というものです。
これを知って、当局が初期の段階で対策に乗り出していてくれさえいればという思いと、李医師の死もこんな形の手のひら返しでは、とても成仏なんてできやしないという思いを持ってしまいます。
これは中国の対岸の火事での話で終わらせることではなく、日本国でも国・役人・政治家・行政に我々もきちんと目を向け、向き合わなくてはいけないのだという警鐘でもあるのではないでしょうか。
皆さんはこの記事を読んで、どうお感じになりますでしょうか…








katsu0509

ようこそいらっしゃいました。
私は中年オヤジです。長年、いわゆる心の病と言われるものと症状と付き合い生きているものです。
その経験、体験を中心にスピリチュアル(霊的真理)を交えて書き、同じように病とお付き合いされている方の何かのヒントになれば幸いとブログを立ち上げました。