fc2ブログ

奇跡の三日間

奇跡
04 /17 2020
みなさんようこそ

「緊急事態宣言」が全国に発出されましたが、いかがお過ごしでしょうか?
私はここ二年間は基本、日中も家にいますのであまり大きな変化というのはないのですが、友人・知人とランチや食事に行けなかったり、実家の母の所にも行くのを止めております。
外に出るのは買い物と散歩と庭掃除くらいで、雨の日は運動不足にならないように家の階段の上り下りをしたり廊下を往復したりしています。
気休めにしかならないのかもしれませんが、何もしないよりは良いかと(笑)

さて、昨日の記事で父の他界の際の主治医について書いたのですが、読み返していて想い出した出来事がありましたので書いておこうと思います。
それは父が危篤状態になった日から葬儀が終る三日間の出来事です。
私は父が吐血し救急搬送されて主治医と担当医と話、病室で父の様子を見た時に「あ~今回はダメだな。長くはないから覚悟を決めないといかん。」と心の中でつぶやきました。
そして、その旨を母と妹、私の妻に告げその時に備えたのです。
なんて縁起の悪いとおっしゃる方もいるとは思いますが、次の日からは葬儀の手配も始めました。
そうして搬送から4日目に朦朧とする父が現世で最後に遺した絞りだすような言葉は「喉が渇いた。スイカが食べたい。」でした。
その後はモルヒネの作用と容態の悪化で微かにうなる程度でした。
そして酸素飽和度が下がりだし、意識の混濁も顕著になった6日目の日中に担当医から「今夜が山です」と告げられたのです。
すぐに母や妹、親戚に連絡し、会える状態にある人には来てもらい最期のお別れをしてもらうようにしました。
そして陽が落ちて夜を迎える頃に集まった人たちに葬儀に関する準備(喪服・睡眠等)をしてもらうために帰宅するように促したのです。
私と私の妻が病院に残り父に付き添うからと。
そして皆は一斉に病院をあとにしました。
私と妻は集中治療室の前の待合の椅子で夜を迎えました。
22時、23時と夜も深くなるにつれ病院は静まり返り、夏であるのに冷房がやけに効いていて寒くて仮眠もできません。
というより、いつ呼ばれるかという緊張の方が強く眠気もなかったのが正直なところです。
そしてその時はきました。朝の4時頃です。
集中治療室にあわただしく速足で入る医師を見て、私は「あ、その時がついにきたか」と感じたのです。
すると間もなく看護師に中に入るように言われ、私と妻は簡素な防護服とマスクをして中に入りました。
そして医師から「厳しい状態です。声をかけてあげて下さい。」と言われたので、待合の椅子に座り最期の言葉は何にしようかとずっと考えていたのですが、妻が泣きながら「お父さん、お父さん」と声を掛けている姿を見て何も言えなくなってしまいました。
そうこうしていたらテレビの医療ドラマで観るのと同じで、モニターがツーっとフラットになったので逝ったのだと分かりました。
我々は延命処置は拒否していましたので医師は特段何もせず淡々と死亡宣告をされました。
妻は父の亡骸にしがみつき泣いていましたが、私は不思議と涙も出ませんでした。
そうして部屋を出て、母に連絡をしようと携帯電話片手に外に出ると白々と夜は明けていました。
その後、私は感傷に浸る暇もなく、葬儀屋さんに連絡したり、死亡診断書をいただいたり駆け付けた母や妹や妻の両親などとやり取りをしていました。
で、葬儀屋とは事前に打ち合わせを済ませておいたのもあるのですが、日ならびの関係でお通夜が死亡診断をされた当日になってしまったのです。
私は前日から一睡もしていなかったのですが、納棺の儀式もそこそこに悲しむ間もなく、各関係者に連絡したり、葬儀屋と打ち合わせをしたりしていました。
今、主流の家族葬という選択肢もあったのですが、父は生前ヤクザな生き方をしてきたせいなのか顔が大変に広く、交友関係や親せきも多いので一般葬にするしかなかったというのが事実です。
そうして通夜を終え怒涛の一日が終わったのです。
次の日は葬儀があるのでのんびりもしていられないのですが、私は布団に入るなり意識を失うように寝たのを覚えています。
そして葬儀を終え、父のお骨を後飾り段に置いた時に初めて一息つけたのです。
ここまで長々と書いてしまいましたが、ここまでが冒頭に書いた父が危篤となった日からの三日間の主な様子なのですが、ここで奇跡が起きていたのです。
それは、この三日間、私の体調は何の問題もなく過ごせたということです。
と言うのも、この頃の私は「心の病(身体表現性障害)」の症状の真っただ中にあったのです。
しかし一番厄介だった強いめまい(浮遊感)もピタリと止まり、動悸や背中の激痛なども何の症状にも襲われることなく三日間を過ごしていたのです。
まさに奇跡としか言いようがありません。
と言うか、症状なく過ごさせて下さったことに感謝しかありませんでした。
今思うと、人間は究極に追い込まれると火事場の馬鹿力で考えられない事が出来たり、不可能を可能にするのだと理解しているのです。
もしかしたらですが、ここに私が様々な症状と付き合うヒントがあるのだろうし、私の修行の在り方が見えるのかもしれませんね。

今は世の中の多くが、新型コロナウイルス「COVID-19」の事で占められていますが、人として失ってはいけない基本の部分はなくさないように日々を丁寧に過ごしていきたいと思っています。
本日も生かしていただけた事に感謝し一日を終えたいと思います。
皆さんにより善き明日がくることを願い、ご訪問に感謝し記事を終えます。
ありがとうございました。










スポンサーサイト



幕尻優勝

奇跡
01 /26 2020
みなさんようこそ

たった今、大相撲初場所で20年振りに、平幕尻・前頭17枚目の「徳勝龍」が初優勝を飾りました。
33歳でのもので、今までの力士生活の苦労が報われた瞬間でしょう。
勝った瞬間に土俵上で思わず泣き出したのがそれを物語っています。
近年は白鵬ばかりの優勝の姿を見てきたので、こちらも、とても新鮮な気持ちで見る事が出来ました。
この初場所では二人の横綱が休場し、豪栄道が大関から陥落し、朝乃山が大関とりに向け二桁勝つなど、いつまでも白鵬時代という大相撲から世代交代が近いのかもしれませんね。
「徳勝龍」には申し訳ないが、これは実力だけではない不思議な力が働いてのもののように感じる。
所謂「奇跡」というやつでしょう。
兎にも角にも勝ちは価値!
おめでとうございます!








オリオン座

奇跡
01 /20 2020
みなさんようこそ

小学校4年生の教科書には載っているそうなのですが、私は今日知った天文学の出来事があるそうです。
みなさんは夜空に見える星座は詳しいですか?
私は正直、そんなに詳しくはありません。
夜空を見上げてすぐにわかる星座と言えば、冬の代表オリオン座くらいです。
そのオリオン座を形成している星の一つ「ベテルギウス」が、どんどんと暗くなってきているそうです。
冒頭に書いた教科書にも、近く消滅するかもしれないと表記されているそうなのですが、国立天文台にも「ベテルギウス」は超新星爆発をするのかとの問い合わせが相次いでいるそうです。
もし「ベテルギウス」が消滅する瞬間を見るということは、天文学を好きな人には大変に大きな出来事となるのでしょう。
私は唯一パっとわかるオリオン座の一部が消えるのは何か寂しさを感じるのです。
人間はどんなに長生きしてもせいぜい100年位ですが、宇宙の単位というのは億を軽く超える、無限ともいえる単位での話しですので何とも壮大です。
それに私の個人的見解では、スピリチュアル(霊的真理)の神髄は宇宙にあると考えています。
その辺のことは、また機会がありましたら見解を詳しく書いてみたいとは思いますが、とにかくスピリチュアル(霊的真理)と宇宙というのは神秘という点では同等と思うほど奥が深いものです。
私がこの話題を知り記事にして言いたい事は、我々が目で見ているものというのは宇宙規模で言えば例えようもないほど小さな出来事です。
そのことに我々は日々、一喜一憂して時には右往左往して生きているわけです。
私もスピリチュアル(霊的真理)を学んでいるなんて言っているわりには物事に動じる事も多々あります。
それが人間らしさだという見方も出来ないわけではないのですが、もう少しだけ泰然自若という言葉があるように地に足をつけた人間になりたいものです。
まだまだ修行が足りません。
皆さんも今夜は夜空を見上げて、オリオン座でも見てみてはいかがでしょうか。








ZONE

奇跡
12 /26 2019
みなさんようこそ

昨日のブログで私が小学生の頃から野球を通してつながってきた友人のことを書きましたが、そのことが潜在意識に強くのこっていたのか、昨夜の夢で高校時代の野球部で練習している時の様子をリアルに視ました。
登場した人物はまさに当時のメンバーで、学校の校舎などの造りも当時のままでした。
起きてからしばらくはベットの中で懐かしかったなぁ~と余韻に浸るくらいでした。
そんな私は6歳の頃には野球チームに所属して、毎週土日祭日にはチームの練習や試合をし、平日は近所の空き地や学校の校庭で白球を追う日々を過ごしていたわけです。
そんな野球小僧が中年になった今でも忘れることの出来ない試合やプレーはいくつかあるわけですが、何十年が経った今でも鮮明に記憶している、所謂「ZONE」に入った時の映像が脳裏から離れません。
皆さんスポーツ界でよく使われる「ZONE」(ゾーン)て言葉はご存じですよね。
野球ならストライクゾーンとかヒットゾーンとかがありますが、それとは異なる常識や能力を超越した次元のことを指す言葉です。
英和などの辞書でzoneと調べると地帯・地域・帯・圏・区間などと出てきます。
その中に*域というものの記載がありました。
スポーツ界で使われる「ZONEに入ったのだと思います」などと表現する際はこの「域」という訳が一番近い気がします。
これは私の推測でしかありませんが「火事場の馬鹿力」に通じるところが科学的にはあるのではないかと思ってきました。
*皆さんの中でお詳しい方がいらっしゃいましたらコメントお待ちしております
「ZONE」の話ですが私は2回だけ経験があります。
一度目は小学校6年生のある日、遠征試合をしたある一戦で満塁で打てば逆転のスチエーションで打席が回ってきた時に起こりました。
私はチャンスということもあり打ちたいという気持ちはあったと思いますが、打席では妙にリラックスしていたのを覚えています。
そして投手がボールを投げた瞬間から、白球がスローモーションのように私に向かってきて、ミートポイントに球が来た時に周囲の景色は夕暮れのように暗く、ベースと打席の白線とが白く浮き上がり、そしてボールは白く輝き止まっていました。
私は何も考えずにその止まっている白球を打ち抜いたのです。
結果は逆転ホームランでした。
二度目は高校時代です。
隣街のライバル校との練習試合での出来事です。
その相手は中学校の知り合いが多く在籍していて、とにかく勝ちたいと互いが勝負に固執するライバル校でした。
その試合は意地と意地とのぶつかり合いでシーソーゲームになっていました。
ある時に私に1アウト1・2塁のチャンスで打席が回ってきました。またまた打てば逆転です。
その時は打席に向かう時から、何故か打てる気しかしなかったのです。
そして初球、投手が投げた瞬間からやはり周囲の景色は深い夕刻のように暗いのにボール(白球)だけが真っ白く、しかもゆっくりと進んできて、硬式球の縫い目までハッキリと見えているではありませんか。
通常、投手が投げてから打者までにボールが到達する時間は0コンマ何秒の世界です。
それがその時ばかりは永遠にも感じられたのです。
ですから私は思い切りその白球を打ち抜きました。
結果は、あまりにボールの芯を打ち過ぎて投手の頭の上すれすれを通り過ぎるセンター前ヒットになってしまったのですが会心の一撃であったことは間違いありません。
と言った具合に、映像的にはスローモーションよりも遅く動き、ボールが止まって見えたのは長い野球人生でこの2回だけです。
野球をやったことがある方ならわかると思いますが、調子が良いとバットとボールがあたる瞬間が見えたり、ボールの軌道が糸を引くように線で見えたりすることはあるのですが、さすがに止まって見えることはありません。
ようするに「ZONE」とは究極の集中力なのでしょう。
しかもそれが起こるには一説によると、究極のリラックス状態でなくてはならないと聞いた事があります。
ですからスポーツ選手が「ZONE」に入り究極のパフォーマンスを生み出すには、様々な条件がいくつも重なり合わなければ起こらない現象なのです。
且つて日本のプロ野球の歴史で神様と称された「川上哲治」さんがやはり何度か「ボールが止まって見えた」とのコメントを残しています。
ですからそこには、ただ単にその競技のプロというだけではなく、理屈では語れない、科学でも解明できるのか分からない、究極の出来事が起こっているという人間の持つ能力の不思議さみたいなものを強く感じるのです。
私は今では「他人よりも霊感がかなり強い霊媒体質だ」と言われています。
幼少の頃を想い出すとやはり「感受性と第六感の強い子だね」と言われていました。
このブログの結論としては、人間の能力とは、時には神の力でも備わったかのような事を成し遂げる不思議な能力を持った生き物であるということです。
なので、出来ないとか、無理だと思い込んでいることでも究極に追い込まれると、もしかしたらできちゃったりするかもしれませんね(笑)
皆さんにも何か忘れられない究極の経験(体験)はございますか…





信じる

奇跡
10 /20 2019


みなさんようこそ

台風19号の傷が癒えぬ状態の中、またまた台風20号・21号が来週、本州に近づく可能性があるとか。
もういい加減にして欲しい。

私は特定の宗教や宗派を支持しているわけではいないが、父方の宗派(曹洞宗)の影響があるかもしれない。
座禅を組んだり、写経をしたり、般若心経を唱えたり、お経は曹洞宗のものを唱える。
これは歴史上の様々な偉人や高僧の本などを読んだり、スピリチュアル(霊的真理)を学んでいくうちに自然とそうなっただけである。
なので神社仏閣分け隔てなく訪れるし、どんな勉強も学びになると思えば躊躇はしない。
そんな私が常々感じていることがあります。
それは、何事にも謙虚に相対し、日々込めて生きていれば、辛く苦しい時には目には見えないけれど大きな力が救ってくれるということです。
この理不尽な事が多いと感じる人生も、そう捨てたもんじゃないと思います。











katsu0509

ようこそいらっしゃいました。
私は中年オヤジです。長年、いわゆる心の病と言われるものと症状と付き合い生きているものです。
その経験、体験を中心にスピリチュアル(霊的真理)を交えて書き、同じように病とお付き合いされている方の何かのヒントになれば幸いとブログを立ち上げました。