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霊視

スピリチュアル
06 /28 2019
みなさんようこそ

今回は私と病とスピリチュアル(霊的真理)のことについて書いてみようと思います。

この「心の病と付き合って」のブログを全て読んでいただいた方にはわかると思いますが、私は非常に霊感の強い所謂、霊媒体質であるということ。
それと私が長年付き合っている症状(病)の原因は自分の過去世と父方の血縁の因縁であるということを書いたことがあります。
それが判明したのは二人の霊能者の方に視てもらい同じことを指摘されたから確信になったと書きました。
その一部分を今回は書こうと思うのです。

救急搬送されてから約半年で「身体表現性障害」と病名をつけられ、安定剤の薬を飲み、会社を休職したりしても症状の改善はみられず苦しんでいる日々を過ごしていました。

そんな時に妻がママ友から有名な霊能者の話を聞いてきたのです。
その霊能者はとにかく変わっているというか、見方を変えれば至極当然なのですが、私利私欲や傲慢な人間はどんなに遠くから訪れていても絶対に視ないという方だと伺いました。
それに毎日かなりの霊視鑑定希望者が訪れるので全員は視る事ができないので、その日に選ばれし人にしか面会しないということも聞いていました。
そんな霊能者に会いに行ってみないか?と妻に提案されたのです。
妻は常常、私が症状で苦しんでいるのを見ていて、何度も病院にも付き添っていて、何とも言いようのない違和感を感じていたそうなのです。
その頃の私はスピリチュアル(霊的真理)なんて言葉も知らないくらいでしたし、興味もありませんでしたし、逆にそのような事(自分の目に見えないもの)は否定派でしたから二の足を踏んだのは確かです。
でも私も何かを変えたいとの強い思いもありましたので、妻の提案をのんで行ってみようと決めたのです。

そこでは朝早くに行き、まず視てもらいたい内容を専用の用紙に書いて提出するところから始まります。
そこからは順番も特になく待合室のようなところでひたすら呼ばれるのを待つのです。
ただ待つ方の人数も本当に多いので、呼ばれるかもわかりませんし、順番が決まっているわけでもないので、ただただ呼ばれて視てもらえるのを願い待つだけなのです。
なので一日がかりになるので昼食用におにぎりとお茶を持参し妻と待ち続けたのを覚えています。

ついに念願の霊視をしてもらえる事になりました。
その方はイメージ的には仙人ともいいましょうか、頑固そうなおじいさんという印象を持ちました。
そして霊視を行う部屋に入りうつむきかげんで座ると私に一瞥をくれて何かを唱えるような感じにみえました。
私は何を言われるのかと緊張しながら待つと、こう言われたのです。

父方の墓で石だけ置かれてちゃんと供養されていないものがおる
その者の供養をせよ
それが原因だ
と。

その時の私の感想は正直、ぽか~んです。
何時間も待ってもらえる言葉がこれだけなのか?!と。
私と妻はお礼を言うと部屋を後にしました。
当時の私には霊視をするということがどういうことなのか全くわかっていませんでしたし理解もできていなかったので拍子抜けと言いましょうかあっけにとられたというのが正直な感想です。

しかし当時の私はその言葉にすがるしかなく、病気(症状)を治したい一心で父に話を聞いたり、現地のお墓にも赴いて調べたり、親戚に聞き込みをしたり、過去帳まで調べたりもしはじめたのです。

この先については必ず近くまた書いていきます。










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オートキャンプ場

癒し
06 /27 2019
みなさんようこそ

今回はもうすぐ夏本番ということで癒しになった想い出を少々書いてみようかと思います。

このブログで約24年間「心の病と付き合って」と書いていますが、その間ずっと寝込んでいたわけではありません。
ただ「身体表現性障害」の症状の強弱(波)がありましたので苦しんできたわけですが、子供も二人いましたので夏休み期間中は何か楽しい想い出でもつくってあげないとと必死の思いではありましたが避暑地にキャンプに2年続けて行ったことがあります。
そこはオートキャンプ場でペット(犬)も可ということで選んだのですが、近くには川もあり、露天風呂もあり、とっても素敵な所でした。
初めに行った時には体調を考慮し一泊にしました。
バンガローを取り、夕食にはそこの地元で調達した食材でバーベキューをし子供たちも大変楽しそうにしていたのが記憶に残っています。
私はというと病気の症状の一環で自律神経失調症もありましたのでお風呂の湯舟に長くつかるということは出来なかったのですが、その時ばかりはキャンプ場にある露天風呂に入りに行きました。
夕方の少し早い時間にチェックインしたこともあり露天風呂には息子と私しかおらず貸し切り状態で近くの山の景色を見ながら夕焼けの中で入ったのは今でも忘れられない癒しになっています。

そういう部分だけ切り取れば自分が病の症状に苦しんでいた事など大したことではないような感じにも思えるのですが、実際は砂漠の中に小さなオアシスを見つけたような感覚でした。
このまま病気(症状)が治ってくれないかな~と自然の中で思っていたものです。

でも一つ言えるのは、たとえ病気でも時には気分転換て本当に大事なんだなぁ~と痛感しています。
どんなチッポケでも想い出になるような良い出来事があると明日(病気)に向かう気力が湧いてきます。


もしこのブログを読んでくださっている方で現在、病に苦しんでいる方やそのご家族や関係者の方がいらっしゃいましたら、たまには現実から離れるような体験も時には必要だと思います。











野良猫

癒し
06 /26 2019


最近、このニャンコが庭に遊びに来ます(=^・^=)













仕事

価値観
06 /26 2019
みなさんようこそ

昨日、とあるテレビドラマを観ていて、私の仕事のスタイルや価値観に近いシーンやセリフがいくつかありました。

私はこのブログで現在に至る約24年間の「心の病と付き合って」きた経過を書いていますが、病気が原因で新卒で入社した会社を休職を繰り返した結果、最後に所属した部署でいじめにもあい25年務めて退職しました。
その退職に至る詳細や経過はまたいつか書く機会もあろうかと思いますので今日のところは割愛しますが、その後も病をおしてというか、病を隠して転職し務めた会社は5社ほどになります。
しかしどれも働き出し順調にいくかと思うと「身体表現性障害」の症状が強く出てしまったり、新たに「パニック障害」に陥り、結果どれも長続きせずにきたという現実があります。

25年にわたり務めた会社も半分以上は「心の病と付き合って」いた状態で休職と復帰を繰り返すものでしたので全てが良い想い出ということではありませんが、そこでは人として良い経験を沢山させていただいたと感じています。

それとドラマの関係ですが、その中のセリフにこんなものがありました。
「心身ともに健康じゃないと本当の幸せじゃない」です。
確かにそうだなぁ~と頷いて観ていました。
働くということは対価でお給料をもらい生活する生業としての要素が大きいとは思いますが、それだけではなく色々な人と人との出会いや、様々な経験から人間形成に多大な影響を与えると思います。
働くということ、それは正に修行の場でもあると強く感じるのです。
私もドラマの主人公と同じく定時で退勤することをモットーにしていました。
バブルの頃は残業をすればするだけ給料が増えた時代もありましたが、私は給料云々より、決められた就業時間内にいかに良い仕事をするかを価値観においていました。
早く退社し何かをするわけではありませんが、ダラダラと会社にいるなら早く家に帰り家族や友人と過ごす時間の方を優先したのです。
しかし仕事の手を抜いたり、残務を放置して帰った事はありません。
とにかく就業時間内の業務(仕事)を自分なりにどれだけ効率よく充実させられるかを追求していたのです。
それを自分なりの美徳とも思っていました。

そんなちょっとお堅い考え方は心身には善くないんですかね~

でもそれが私の価値観だったので仕方ありません。
ことわざに健全な魂は健全な肉体に宿るでしたっけ、というのがありますよね。
やはり健康じゃないと良い仕事、満足いく仕事ができないのは確かです。
「心の病と付き合って」働くということは非常に難しい問題です。
みなさんはどうお考えになりますか?











不安神経症

医者との関係
06 /25 2019
みなさんようこそ

今回は「心の病」の「身体表現性障害」の発症からの経過報告に戻りまして書きたいと思います。

前回までは休職して年末年始をのんびりと過ごし、生活の事を考えて復帰を決意し症状の強弱の波の中で仕事をしているところまで書きました。
職場復帰した後も症状を抱えながらですので正直、毎日が地獄のような日々でした。
その頃の私はプライドもあり、周囲に病気だと思われないように無理に笑ったり、仕事のパフォーマンスを落とさないように必死に目に見えない何かと戦っていたように思います。

しかし日々、いや片時も頭から病気の事は離れず
「薬もちゃんと飲み、暴飲暴食もしないし、こんなに頑張っているのに何で治らないんだ」
「主治医は原因はストレスと言ったが休職しても改善しないし何がいけないんだ」
「俺が何をそんなに悪い事をした」

というような思考が頭の中をグルグルと回転して変になりそうでした。
本当は仕事どころじゃなかったのです。

そんなこんなで休職復帰から三か月位が経過した頃の定期通院で主治医に思いのたけをぶつけてしまったのです。
「先生、毎日辛い思いを我慢して本当に頑張っているんです。でも一向に善くなりません。ストレスとかが原因じゃなくて実は何か違う大きな病気なんじゃないですか?」と。
すると主治医は「今までに色んな検査して、色んな病院に行っても異常はなかったじゃないですか。大きな病気なんてことはないと思うから心配しないでいいんじゃないですか」と。
それでも納得のいかない私は「でも先生、薬もきちんと飲んでるし、タバコも止めたし、できるだけ規則正しく生活するようにしています。それなのに全然善くならないじゃないですか」と。
主治医は初めてこう言いました
「その考え方を変えないと治りませんよ。あなたは医学的に言うと心気症または不安神経症の中の身体表現性障害なのです。私は何か大きな病気に違いないとか、また倒れるんじゃないかとか、大げさに言えば死んでしまうのではないかと思っていますよね?その考え方が治らなくしている一つの要因です。たとえ倒れても死にやしないから大丈夫と思ってみて下さい」と。

私はその時のやり取りを今でも覚えていますが感想としては「不安神経症か~倒れても死にやしないと思え」確かにそうかもしれない、救急搬送されてから今まで急に具合が悪くなり、症状に悩まされ、頭の中は寝ても覚めても病気の事ばかりで余裕など一つもなかった。自分で自分を病気にしているのかもしれないなぁ~先生の言う通り少しは考え方を変えないといけないなぁ~
と。

実はこれ私一人での発想の転換(素直な気持ち)ではなく妻が大きく関係していたのです。
妻はこれまでに何度も病院に付き添ってくれていたし毎日私の姿を近くで見ています。その妻が一度だけ「ちょっと病気病気って気にし過ぎじゃない、もう少し気楽にしたら」って言ったことがあったのです。

その時は正直「何言ってんだ!こんなに辛いし苦しいんだ!それがわかるか!」と思っていたのです。
しかし今思えば、心気症ですよね。
寝ても覚めても病気の事しか考えないんだから、どんな人でもメンタルやられますよね。

病気で苦しんでいるみなさん。確かに症状がある時は辛いし苦しいし落ち込みます。
でもどうかみなさん、どんなに些細なものでも構いませんので、それを克服した時の夢や目標を持ち続けて下さい。
信じる者は救われる!

です。











旅で起きた偶然(奇跡)

奇跡
06 /24 2019
みなさんようこそ

今回は私が「身体表現性障害」と診断される前の若い頃に旅の移動で起きた偶然(奇跡)を書いてみようと思います。

世の中には「縁」というものが存在します。
人と人との縁、人と物との縁、人と場所との縁
それは科学的にも証明できるものでもないでしょうし理屈ではありません。
そんな一例が私にもあります。今でも鮮明に覚えている出来事です。

私が会社の出張でNW航空の夜のシアトル便に乗った時に、日本時間では夜中ですから機内は暗くなり、ほとんどの方が眠りについていました。
しかし私は旅行(例えそれが主張でも)と言うとどうしても興奮してしまうのか寝付けずにいました。
そこでトイレに立ちその後、トイレ付近の窓から外から星でも見ようしていると、その飛行機に唯一日本人で女性の客室乗務員の方が「眠れませんか?」と声を掛けてきました。
私は「ハイ、何か興奮気味みたいです」と応えるとその客室乗務員の方は「何か飲み物でもお持ちしましょうか?」と優しい笑顔で気を遣ってくださいました。
私はこの時間は客室乗務員の方も休憩時間だと知っていましたので丁寧に断り席に戻らなければと思っていると
「今日はお仕事ですか?」と聞かれたので
「そうです西海岸を一週間ほど歩きます」と応えました。
その後、客室乗務員の方のシアトルのおすすめのレストランの話や職業病で足が太くなるなどの他愛のない話を15分以上はしたでしょうか、ようやく席に戻ったのです。
その方の名前はネームプレートで確認し顔も覚えましたが、現代のように携帯電話が様々なコミュニケーションツールになる以前の時代ですから飛行機から降りる際に
「じゃぁまた」と挨拶を交わすのが精一杯でした。

そして約2か月後に今度は会社の社員研修旅行でハワイに行く機会が設けられ、またまたNW航空の夜の便に乗りました。
そこで機内で自分の席を目指し通路を歩いていると、何とあのシアトル便で会話を交わした客室乗務員の方が居ました。
そこで客室乗務員の方も私を覚えていたようでお互い笑顔で
「また会いましたね、今日はハワイですか?」と同じことを聞きあったのです。
その客室乗務員はその時はカチッとした制服ではなくアロハシャツを着て応対していました。
その後も私に食事を提供しに来たり、トイレのついでにまた
「今日はお仕事ではないんですか?」などと聞かれ
「一応、研修名目です」とかハワイのおすすめレストランなど、またまた他愛のない世間話を一通りし互いに言ったのは
「まさかまた会えるとは思ってもいなかった」ということです。
そこで現代みたいにLINEでもあれば展開は違ったかもしれませんが、その当時の私は偶然てあるんだなぁ~とか思いつつ
でも同じ航空会社の飛行機に乗ればそんなこともあるかと簡単に考え連絡先すら交換することなく、その場限りの単なる出会いということで終わったのです。

と、ここまでは仕事で飛行機をよく利用する方ならよくある話で終わりなのですが、これからが「偶然という奇跡」
所謂、人との不思議な「縁」というものです。

それから約半年後に今度は完全プライベートな旅行でハワイに行くことにしました。
行き帰りや現地での宿は世話が無く安価なので旅行会社のツアーを利用しました。
その旅の航空会社がまたまたNW航空でこれも縁と言えばそうなのですが、そこで待っている偶然(奇跡)までは想像すらしませんでした。
もうお分かりですね。
飛行機に乗って起こる驚きをどう表現して良いかわかりません。
そうです、いたんです、あの客室乗務員さんが。
その方も仕事という立場を忘れ、私も興奮のるつぼで、お互いに顔を見た瞬間に指をさして叫びました
「あ~どうして!!!」
って。
大抵の場合、人と人は何かのコミュニティの中にいないと二度と会うことのないことばかりです。
それがごく普通の日常です。
それがこれだけの偶然が続くと、それはもう奇跡としか言いようがありません。
いくら私が旅行好きで出張が多くても国際線はそうそうのりませんし、しかも全て自分で選んだのではない同じ航空会社での出来事です。
さすがにその時は自然の流れで電話番号を交換しました。
日本では一度だけ都内でランチをしようと会いましが、その後は私は既婚者でしたし病に倒れたのでエアメールのやり取りで終わりました。
もしそれ以降も私が「心の病」にならなければ、何らかの付き合いは続いていたかもしれませんね。
いや続いていたはずです。

このような事を「縁」と言うのでしょう。
みなさんも日常にある人と人との縁、人と物との縁、人と場所との縁を意識してみて下さい。
ちょっとした奇跡があるはずです。
それが所謂「波長の法則」ですね。











波のある症状

心の病
06 /24 2019
みなさんようこそ

このブログを立ち上げた時によほどの事が無ければ基本、毎日ブログを更新しようと決めていたのですが
もう昨日は更新ができませんでした。
と言うのは久しぶりに強いめまい(浮遊感)や倦怠感が出てしまい、どうしてもブログを更新しようという気力がうまれなかったからです。

救急搬送されて「心の病」と自覚してから約24年が経っても、修行の足りない私はまだまだ症状から逃れられないのです。
どれだけ修行し、人として成長を遂げ、過去の因縁を断ち切り、いつになったら天に認めていただけるのだろうか…と思いますが
まだまだなんだなぁ~と思っています。

完全に治ってしまったんではないかと思えるように症状が全く無い日々が続いたと思うと、そんな考えを戒めるかのごとく
辛く強い症状が襲ってきます。
こんな事を繰り返す昨今、私の修行はまだまだ足りないのですね。











抱えこまないで

症状
06 /22 2019
みなさんようこそ

「身体表現性障害」と診断されてから約24年間が経過しましたが、ここでは現在の症状の状況を書いておこうと思います。

「身体表現性障害」の症状はおかげ様でだいぶ安定しています。
相変わらず上手く汗はかけませんし、お風呂の温度差でフラフラしたりはしますが、めまい(浮遊感)は軽く出る程度だし、背中の激痛発作も数が減っています。
なので本格的にやっている方からみたらまったくですが、私なりには軽い運動(筋トレ)は出来てます。
しかし調子に乗って動き回ると途端に強い倦怠感に襲われ、めまい(浮遊感)などの症状が出てきてしまいます。

それに今は「パニック障害」の発作が一番困ります。
例えばスーパーマーケットに買い物に行ってレジに並んでいると何故か突然に動悸がして手汗を掻き意識がなくなりそうになってしまったり、エレベーターに乗ると同様の症状に襲われたりします。
以前は電車もそうでしたし、MRI検査でも動悸と冷や汗たらたらでしたから、車以外の閉鎖空間が苦手のようです。
なので、どうしても活動の範囲が狭まってしまいます。
唯一助かっているのは「身体表現性障害」も「パニック障害」の症状も車の時は強く出ないので不思議ですね。

あともう一つが「対人恐怖」です。
これは2年程前から自覚症状が出始めたのですが、人と話をしていると手が震えだし、脇汗がひどくなり、重い時は意識の遠のきもあります。
これがまた家族でもそうなる時があるから厄介です。
自分では全く意識しているつもりはないのですが極度に緊張しているのでしょうね。
これは原因らしきものは分かっているので近い将来に克服できると思っています。

現在はこんな感じで様々な症状の強弱の波と付き合いながら過ごしている私です。
人それぞれ、どんな病気で強弱はあっても何らかの症状があるというのは辛いものですよ。
病と付き合っている方々、またその家族や関係者の方々も含めて苦しさを心の内に抱え込み過ぎないように生きて下さいませ。
時には弱音を吐いてもいいんじゃないですか!

私はそう思います。











仕事に復帰

心の病
06 /21 2019
みなさんようこそ

病気「身体表現性障害」での休職を延長し、就職後はじめて年末年始を家でのんびり過ごした。
その間、ずっと続いていた症状の出方に変化が生じ、症状に強弱の波が現れるようになってきたところまで書いてきました。

そして目安としていた休職延長1か月が経ち、私は職場復帰を決意しました。
その時点でも症状は辛く不安しかありませんでしたが、そこは体育会系の悪いところで
根性見せたる!
くらいの心持だったのです。

主治医からは特段の意見はありませんでした。
と言うか、病院に行っても待ち時間は2時間。診察5分が現実だったからです。
主治医からは、あ~しなさい、こ~しなさいなどの指示や指導はなく、薬をきちんと飲んで出来るだけ規則正しい生活をしてください程度しか言われなかったから。
私はこの診療にこの頃は非常に不満を持っていました。
患者としては病気を治す為には「こうしたら良いですよ」とか指導や指示があるものだと思っていたものですから。
一つだけ言われた指導は「病気を治したければタバコはすぐに止めてください」だけでした。
今なら何故そんな感じだったのかは分かりますが当時はどうしても理解できませんでした。
医師の診察内容(対応)について私が変化していったことはまたいつか書きます。

そうして一か月振りに職場に復帰し仕事を再開するのですが
当時はもう「苦しかった」との感想しか残っていません。
一日中、症状の波に包まれ、またいつ倒れるかの恐怖が頭の中を占領し、仕事をしていても辛いばかりで何も楽しくないのですから。
そりゃもう地獄です。
一日が終わり家にたどり着くと、生きて帰れたとほっとするのと心身ともの疲労でぐったりでした。
それでもまた次の日になると仕事に行くのです。
小さな子供が二人いて、家のローンを抱えている身としてはそんな日々を過ごすしかなかったのです。















心のスタミナ・身体のスタミナ

心の病
06 /21 2019
みなさんようこそ

私は現在「身体表現性障害」「パニック障害」「対人恐怖症」の症状を抱えています。
しかしながらなるべく体調の良い時、症状が落ち着いている時は体力(筋力)の維持に努めています。

この約24年間「心の病と付き合って」体力(筋力)の維持は病(症状)と付き合うのに必ずやプラスになると何の根拠も持たずに思い込んで過ごしてきました。
しかし最近では体力(筋力)の維持は様々な病の回復に必要であるというものや、筋肉量が多い方が脳梗塞・ガン・認知症の予防にもなるんだという記事を見かけるようになりました。
なので毎日必ず卵や大豆類を食べて筋肉の素になるタンパク質を摂る。
体調をみながら簡単な筋トレをする。
出来る限り歩く。
私が勝手な思い込みで根拠なくしていたことは、あながち間違えではなかったんだと確信に変わってきました。
これからも是非とも可能な限り続けていきたいと思っています。

それと同時に必要だと感じているのは「心の体力」です。
でも心臓を鉄や鋼に変えるわけにもいかないしどうしたら…と思っていましたが
心を鍛えるということは、何か信じるものを持つということではないのかなぁ~と私なりの結論に達しました。
私は現在はスピリチュアル(霊的真理)を学んでいることから体調が悪い時(発作時)などには、このことを拠り所にしています。
人それぞれ何でも良いと私は思います。
家族を思っても良いし、ペットでも良いし、神頼みでも良い、とにかく信じるものを持つということが「心の体力」を付けるということではないのかなぁ~と思うのです。

みなさんはどうお感じになりますか?















katsu0509

ようこそいらっしゃいました。
私は中年オヤジです。長年、いわゆる心の病と言われるものと症状と付き合い生きているものです。
その経験、体験を中心にスピリチュアル(霊的真理)を交えて書き、同じように病とお付き合いされている方の何かのヒントになれば幸いとブログを立ち上げました。