霊視
スピリチュアル
みなさんようこそ
今回は私と病とスピリチュアル(霊的真理)のことについて書いてみようと思います。
この「心の病と付き合って」のブログを全て読んでいただいた方にはわかると思いますが、私は非常に霊感の強い所謂、霊媒体質であるということ。
それと私が長年付き合っている症状(病)の原因は自分の過去世と父方の血縁の因縁であるということを書いたことがあります。
それが判明したのは二人の霊能者の方に視てもらい同じことを指摘されたから確信になったと書きました。
その一部分を今回は書こうと思うのです。
救急搬送されてから約半年で「身体表現性障害」と病名をつけられ、安定剤の薬を飲み、会社を休職したりしても症状の改善はみられず苦しんでいる日々を過ごしていました。
そんな時に妻がママ友から有名な霊能者の話を聞いてきたのです。
その霊能者はとにかく変わっているというか、見方を変えれば至極当然なのですが、私利私欲や傲慢な人間はどんなに遠くから訪れていても絶対に視ないという方だと伺いました。
それに毎日かなりの霊視鑑定希望者が訪れるので全員は視る事ができないので、その日に選ばれし人にしか面会しないということも聞いていました。
そんな霊能者に会いに行ってみないか?と妻に提案されたのです。
妻は常常、私が症状で苦しんでいるのを見ていて、何度も病院にも付き添っていて、何とも言いようのない違和感を感じていたそうなのです。
その頃の私はスピリチュアル(霊的真理)なんて言葉も知らないくらいでしたし、興味もありませんでしたし、逆にそのような事(自分の目に見えないもの)は否定派でしたから二の足を踏んだのは確かです。
でも私も何かを変えたいとの強い思いもありましたので、妻の提案をのんで行ってみようと決めたのです。
そこでは朝早くに行き、まず視てもらいたい内容を専用の用紙に書いて提出するところから始まります。
そこからは順番も特になく待合室のようなところでひたすら呼ばれるのを待つのです。
ただ待つ方の人数も本当に多いので、呼ばれるかもわかりませんし、順番が決まっているわけでもないので、ただただ呼ばれて視てもらえるのを願い待つだけなのです。
なので一日がかりになるので昼食用におにぎりとお茶を持参し妻と待ち続けたのを覚えています。
ついに念願の霊視をしてもらえる事になりました。
その方はイメージ的には仙人ともいいましょうか、頑固そうなおじいさんという印象を持ちました。
そして霊視を行う部屋に入りうつむきかげんで座ると私に一瞥をくれて何かを唱えるような感じにみえました。
私は何を言われるのかと緊張しながら待つと、こう言われたのです。
父方の墓で石だけ置かれてちゃんと供養されていないものがおる
その者の供養をせよ
それが原因だ
と。
その時の私の感想は正直、ぽか~んです。
何時間も待ってもらえる言葉がこれだけなのか?!と。
私と妻はお礼を言うと部屋を後にしました。
当時の私には霊視をするということがどういうことなのか全くわかっていませんでしたし理解もできていなかったので拍子抜けと言いましょうかあっけにとられたというのが正直な感想です。
しかし当時の私はその言葉にすがるしかなく、病気(症状)を治したい一心で父に話を聞いたり、現地のお墓にも赴いて調べたり、親戚に聞き込みをしたり、過去帳まで調べたりもしはじめたのです。
この先については必ず近くまた書いていきます。


今回は私と病とスピリチュアル(霊的真理)のことについて書いてみようと思います。
この「心の病と付き合って」のブログを全て読んでいただいた方にはわかると思いますが、私は非常に霊感の強い所謂、霊媒体質であるということ。
それと私が長年付き合っている症状(病)の原因は自分の過去世と父方の血縁の因縁であるということを書いたことがあります。
それが判明したのは二人の霊能者の方に視てもらい同じことを指摘されたから確信になったと書きました。
その一部分を今回は書こうと思うのです。
救急搬送されてから約半年で「身体表現性障害」と病名をつけられ、安定剤の薬を飲み、会社を休職したりしても症状の改善はみられず苦しんでいる日々を過ごしていました。
そんな時に妻がママ友から有名な霊能者の話を聞いてきたのです。
その霊能者はとにかく変わっているというか、見方を変えれば至極当然なのですが、私利私欲や傲慢な人間はどんなに遠くから訪れていても絶対に視ないという方だと伺いました。
それに毎日かなりの霊視鑑定希望者が訪れるので全員は視る事ができないので、その日に選ばれし人にしか面会しないということも聞いていました。
そんな霊能者に会いに行ってみないか?と妻に提案されたのです。
妻は常常、私が症状で苦しんでいるのを見ていて、何度も病院にも付き添っていて、何とも言いようのない違和感を感じていたそうなのです。
その頃の私はスピリチュアル(霊的真理)なんて言葉も知らないくらいでしたし、興味もありませんでしたし、逆にそのような事(自分の目に見えないもの)は否定派でしたから二の足を踏んだのは確かです。
でも私も何かを変えたいとの強い思いもありましたので、妻の提案をのんで行ってみようと決めたのです。
そこでは朝早くに行き、まず視てもらいたい内容を専用の用紙に書いて提出するところから始まります。
そこからは順番も特になく待合室のようなところでひたすら呼ばれるのを待つのです。
ただ待つ方の人数も本当に多いので、呼ばれるかもわかりませんし、順番が決まっているわけでもないので、ただただ呼ばれて視てもらえるのを願い待つだけなのです。
なので一日がかりになるので昼食用におにぎりとお茶を持参し妻と待ち続けたのを覚えています。
ついに念願の霊視をしてもらえる事になりました。
その方はイメージ的には仙人ともいいましょうか、頑固そうなおじいさんという印象を持ちました。
そして霊視を行う部屋に入りうつむきかげんで座ると私に一瞥をくれて何かを唱えるような感じにみえました。
私は何を言われるのかと緊張しながら待つと、こう言われたのです。
父方の墓で石だけ置かれてちゃんと供養されていないものがおる
その者の供養をせよ
それが原因だ
と。
その時の私の感想は正直、ぽか~んです。
何時間も待ってもらえる言葉がこれだけなのか?!と。
私と妻はお礼を言うと部屋を後にしました。
当時の私には霊視をするということがどういうことなのか全くわかっていませんでしたし理解もできていなかったので拍子抜けと言いましょうかあっけにとられたというのが正直な感想です。
しかし当時の私はその言葉にすがるしかなく、病気(症状)を治したい一心で父に話を聞いたり、現地のお墓にも赴いて調べたり、親戚に聞き込みをしたり、過去帳まで調べたりもしはじめたのです。
この先については必ず近くまた書いていきます。

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