みなさんようこそ
私のこのブログ
「心の病と付き合って」は開始から前回の記事までで70程投稿させていただきました。
その中に幾度となく私は
心の病(身体表現性障害)であり、その原因が仕事上のストレスや個人的な悩みではなく
スピリチュアル(霊的真理)が大きく関係していると書いてきました。
このことにより私の人生も価値観も性格までもの全てが変化してきました。
以前の記事にも書きましたが人には皆、例外なく
「宿命」と「運命」があり、
「宿命」とは生まれる前からあの世で決めてきて変えることのできないものであり
「運命」は現世を生きていくなかで、その時々の自らの判断や行動によっていかようにも変化させられるものであると書いてきました。
私は
「宿命」である
心の病(身体表現性障害)になるということには今は感謝しています。
このことには嘘も偽りもありません。
今後もこのブログを続けていく上で、いつか具体的に触れることがあると思いますので今は記しませんが、症状が発作的に現れ救急搬送されてから現在に至るまでには本当に様々なものを失ってきました。
簡単に言えば「人」「物」「金」「時間」でしょうか…
もし私が病気にならずに生きて一生を終えたとしたら多少の財や地位は遺せたかもしれません。
しかし、きっと傲慢で頭でっかちな人間であり「人は何故生まれ何故生きるのか」の意味を全くわからいまま今回の現世での一生(修行)を終えることになったのではないかと思うのです。
そのことに気付けたことだけでも生まれてきて病気になった意味があると思えるのです。
繰り返しになりますが決して恰好つけているわけでも偽善でもありません心底そう思っています。
まだまださわり程度でしかありませんが、何にも代えがたい霊的真理という考え方を得られたというこに本当に感謝しているのです。
なぜこの記事を書いたかと言うとテレビのニュースで京都アニメ放火事件の献花のインタビューで年配の男性が
「才能あふれる夢多き若者が多数亡くなった。あまにり不条理で心の持っていきようがない」
と涙されていらっしゃいました。
確かにそうですよね。何の罪もない多くの若者がたった一人の所業で煙や炎にまかれ苦しんで命を亡くす。神も仏もないのではないかと考えるのも当然です。
その様子を観ていて改めて私の人生の行動目標の一つを強く意識したのです。
それは東北地方の鎮魂の旅です。
2011年の東日本大震災では多くの方が被災され命を亡くされました。
あの震災で生き残った方々も様々な心の傷を抱えながら生きていらっしゃいますが、とある情報によると岩手・宮城・福島の海岸線を中心にあの世に戻ることのできない魂が多く存在すると聞いています。
私なんぞはまだまだ修行も足りず本当に小さな小さな存在でしかないことは自覚しておりますが、被災地を訪れ未だ彷徨える御霊に鎮魂の祈りを捧げたいのです。
私なんぞが行ったところで何の役にも立たないかもしれません。
しかしできる事なら一つでも良いので彷徨える御霊をあの世(真の世界)に還っていただきたいと願っているのです。
それを私のライフワークとしたいと考えているのです。
私の師匠は出会った頃、自身は重い心臓病を抱えながら無理をしてまでも地域の彷徨える御霊を浄化させる活動をされていました。
自身は心臓病で遠くには行けないし、商売で除霊や浄化をするのも避けていらっしゃったので、動ける範囲でそのような活動をされておられました。
それは誰に頼まれたわけでもなく当然のことながら無償のボランティア活動です。
私はそのようなことのできる、ある意味特殊な能力を天から授かって生まれた者としては正しと師匠の行動に畏敬の念を持っているのです。
その姿からも私もスピリチュアル(霊的真理)を少しでも学び、少しだけ魂と接する事ができる能力を頂いているのであれば生かされている感謝の心を込めて何らかの具体的な行動を取らないのは失礼であると考えるのです。
またの機会に詳しく書こうと思いますが人は皆、魂の存在です。
人が生きるには一人ひとり必ず意味があるのです。
私が
心の病(身体表現性障害)になった事にも意味があるように病気になることにも必ずや意味が存在するのです。
そのことを少しでも多くの方に伝える義務が私にはあるのだと思っているのです。
私は大した人間ではありませんが、今後ともお付き合いの程、宜しくお願い致します。


