fc2ブログ

加藤清正の井

スピリチュアル
07 /31 2019
清正井戸

みなさんようこそ

この写真は明治神宮にある加藤清正の井戸です。
一時期は見るのに4~5時間の長蛇の列をつくったパワースポットです。
みなさんの中でお忙しかったり、ご病気などでなかなかパワースポットにも行けないという方は写真からパワーをもらうと同時に癒されてみて下さい。










スポンサーサイト



幸せの基礎

病気
07 /30 2019
みなさんようこそ

7月30日にあの名馬「ディープインパクト」が亡くなられた(安楽死処分)そうです。
競馬をされる方は勿論のこと、競馬をなされない方でもその名は知っていらっしゃるであろう有名馬の訃報に未だに実感がわきません。
私も趣味と父の影響で競馬は小さい頃から観ていますが、この歳になるまでに新馬戦(初戦)をみただけでクラシック三冠を獲ると感じたのは後にも先にもディープインパクトこの馬だけです。
日本にも数多の名馬がおりますが、私の個人的な意見としては日本の競馬の歴史上最も強かった馬だと思っています。
このディープインパクトの死は競馬界のみならず、日本の宝を一つ失ってしまったと言っても過言でないほどの事だと感じています。
ディープインパクトの冥福を祈ると同時に命あるものは例外なく必ず死する時がくるのだなぁ~と改めて思う次第です。

私はこのブログ「心の病と付き合って」と題し、心の病のことと、それに関連しスピリチュアル(霊的真理)についてを中心に毎日記事を書いています。
記事にもしてきた発症から15年程はそんな心身の余裕もなく、ブログを立ち上げ、毎日記事を更新するなど夢にも思いませんでした。
そんなことができるのも動ける身体があってのことです。
神仏ならびにご先祖様に本当に感謝しています。

みなさんの中でも何かのご病気の方もいらっしゃれば現在は健康な方もいらっしゃるかと存じます。
しかしその日常が決して当たり前ではない事、日々の積み重ねの上に成り立っていることを忘れずにお過ごしいただけたらと思います。
私も心の病(身体表現性障害)を中心に様々な病気と未だ付き合っていますが、病の症状と向き合い感謝こそすれど幸せだったとは恰好つけて言えません。
やはりある程度は自由に動ける身体があっての幸せだと思います。
ですからみなさんも睡眠と栄養を十分に摂り、適度な運動を心がけ動ける身体を持ち、自分の思う幸せに向かって進んでください。
特に睡眠は大事にしてくださいね。
人は寝ている時に「あの世に里帰りをしてエネルギーをチャージ」しているのです。
睡眠時間が短すぎたり、質が悪かったりするとおのずと心身に支障をきたします。
どうか自分を大事にしてください。
またの機会に記事に書こうと思いますが、人は皆、魂の存在です。
今ある肉体は存在を視覚にうったえる借り物で例えれば着ぐるみや自家用自動車のようなものです。
しかしそれらも絶対にメンテナンスが必要です。

幸せとは動ける身体と健全な心(魂)の基礎があってのものだということを是非とも忘れないで下さいませ。










寝る前に感謝

心の病
07 /29 2019
みなさんようこそ

この記事は久しく止まっていた病気の経過に戻って書こうと思います。

今までの記事では「心の病(身体表現性障害)」の発作症状(血圧200近く)で救急搬送されてから3~4年程の所まで進んでいたのです。
改めてその間の主な症状は一番は強いめまい(浮遊感)でこれが一番辛いですね。
その他は背部の激痛に腰痛、微熱、倦怠感、耳鳴り、下痢、頻尿など多岐にわたります。
そんな症状を抱えながらの両耳の滲出性中耳炎に前歯上歯茎内ののう胞摘出手術なども加わり家と会社と病院しか行っていなかったように感じます。
会社と言っても症状が強く長く出ている時は休職をしていましたから休職と復職を繰り返し暮らしていました。
にもかかわらず、その時に在籍していた会社を退職する最後の休職までは割と重責な仕事を任されていたので症状を抱えながらですと体力的にきつかったですね。
でも後からよくよく考えると、私の場合は100%の比率でストレスが原因で「心の病(身体表現性障害)」になったわけではないから良かったものの産業医面接も幾度も行ってきたにもかかわらず、重責の仕事を任せるなど本来ならあってはならない事ではないかとも思うのです。
いかに産業医も含め「心の病(身体表現性障害)」への認識が甘いかが分かります。
みなさんの誤解を恐れずに言えば、これで一言でうつ病ですとなれば会社の認識も変わってきたのだと思いますが、よくわからない病気だし見た目は元気そうだから大丈夫だろうとでも軽く考えていたのでしょう。
人の辛さも知らず、実際にうつ病の方と私では社内での扱いはまるで違いましたから。
決してうつ病が楽だとかなんだとかを言いたいのではなく無知というのは本当に恐ろしい事だと強く感じるのです。

家庭においても様々な弊害がありました。
子供が二人いたのですがまだまだ幼く様々な行事もあれば遊びたい盛りだし、でも私は症状が消える(治まる)日はなく妻には相当な負担を掛けてしまっていました。
何せ私はめまい(浮遊感)のせいで立っていることが辛く、体力の低下もあり運動ができなくなっていたので真面に子供の事にかかわってやれなかったからです。
父や母からは死にやしないなら頑張りなさいと言われていましたが、スピリチュアル(霊的真理)を学び出して日の浅い私には「動け」と言われる事はただの拷問としか思えなかったのです。

この頃の私は頭の中がグチャグチャで整理できていなかったんだと思います。
霊能者には「あなたの病(症状)は先祖供養すれば治る」と言われ
師匠からは「あなたの病の原因は前世からの引き続きの今世での学び(修行)」と言われ
医者からは診察時には「倒れても死ぬことはないので薬を飲んでいれば大丈夫」と言われ
両親からは「家族のために頑張れ」と言われ
妻からは「辛いのは分かるけど無理してでも動かないと病気に負けるよ」と言われ
私は実際に消える事のない症状と付き合いながら、何をどう頑張れば良いのか我を見失っていた期間に思えます。

この記事を読んでくださっている方で、何らかの形で病と付き合っている方々で苦しんでいるのであれば、これだけは言いたい。
是非とも素直に生きて下さい。
悲観することも、楽観し過ぎることもなく、自分の心(魂)に素直になって下さい。
辛くて苦しくて頑張っても頑張りきれない時は愚痴を言ってもいいし泣いてもいい。
でも最後は嘘でも笑顔を造って寝て下さいね。
そして一日、生かせていただいた事に全ての出来事に感謝し寝て下さいね。
そうしてまた朝が来るのです。
この繰り返しこそが正に学び(修行)なのです。
私はそう思います。










夏祭り(盆踊り)

癒し
07 /28 2019
みなさんようこそ

台風が去り、これで全国的に本格的な真夏へ突入といったところでしょうか。
私は「自律神経失調症」でもあるので暑いのは特に苦手です。
上手く汗を掻くことが出来ないんですよね~
これからの季節は熱中症との闘いで睡眠の確保が鍵になりますね。

昨夜は町内会の夏祭り(盆踊り)でした。
町内会の役員をしている時は、役わりによっては祭りとなると、とても大変で楽しむどころの騒ぎではなかったです。
しかし今は役員の座についていませんので単純に祭りを楽しむ民として参加できます。
でも昨夜は焼き鳥と焼きそばを買いに祭りに行くと突然の雨…
一番盛り上がる時間帯での事で、急遽、中止になってしまい実行委員会の方々は右往左往する始末、本当にお疲れ様でした。

所説ありますが盆踊りは先祖の霊(魂)が迷う事なく帰ってくるのをサポートするとか、鎮魂や供養の意味合いがあるとの文献もありました。
何れにせよご先祖様の霊(魂)と直接触れて敬う儀式であることに間違いはないでしょう。

父方の地域の盆踊りに私が幼少の頃に行った記憶では、大変面白い風習があった事を覚えています。
それは浴衣を着た男の人が手ぬぐいや傘でほおっかぶりをして顔を半分ほど隠し女装をし、その綺麗さを競い順位をつけるのです。
その順位毎に商品があり米や野菜の食べ物から電化製品まで様々あったのを覚えています。
今もその風習があるかは定かではありませんが、ただただ太鼓に合わせて踊るだけではなく楽しんでいる祭りには子供ながらにとても風情を感じ癒されたものです。

もう少しで暦は八月。
所謂、旧盆がありますが今年も暑い暑い中で迎えることになるのでしょう。
しかし、この記事を読んでくださっている方々の中でご先祖様の供養にお墓参りなど久しくしていないという方は、今年はお墓参りに足を運んでみてはいかがでしょうか?
きっとご先祖様も大喜びされることでしょう。
せめて一年に一度でもご先祖様の普段の見守りに感謝して自らの心(魂)を浄化させることをおススメ致します。












笑顔

スピリチュアル
07 /27 2019
みなさんようこそ

昨日、一本の連絡がきました。

孫を白血病から救いたい。
その為には神にも仏にもすがりたいと相談された元同僚からでした。

その子はまだ4歳で、先日、移植治療を行って定着するまでには3週間は掛かるそうなのですが
今は40度を超える熱を出したり引いたりの繰り返しで必死に病と闘っているそうです。
でも辛かろうに思いますが、その子は泣き言一つ言わずに歯を喰いしばり耐えているそうです。
その姿が健気で見ていると涙が止まらないと連絡がきたのです。

私にできる事なぞ神仏に手を合わせることくらいしかありませんが心を込めて快方に向かうことを祈ります。

私も症状が出てきつい時、辛い苦しいと、この世の終わりみたいなしかめっ面していたものです。
振り返ると自ら邪気を呼び寄せてしまっていましたね。

みなさんは辛くても苦しくても嘘でも良いから笑っていて下さいね。
それが一番の邪気を祓うお祓いとなりますから。

今日も一日、笑顔で過ごしましょう!!












鎮魂

スピリチュアル
07 /26 2019
みなさんようこそ

私のこのブログ「心の病と付き合って」は開始から前回の記事までで70程投稿させていただきました。
その中に幾度となく私は心の病(身体表現性障害)であり、その原因が仕事上のストレスや個人的な悩みではなくスピリチュアル(霊的真理)が大きく関係していると書いてきました。
このことにより私の人生も価値観も性格までもの全てが変化してきました。
以前の記事にも書きましたが人には皆、例外なく「宿命」と「運命」があり、「宿命」とは生まれる前からあの世で決めてきて変えることのできないものであり「運命」は現世を生きていくなかで、その時々の自らの判断や行動によっていかようにも変化させられるものであると書いてきました。
私は「宿命」である心の病(身体表現性障害)になるということには今は感謝しています。
このことには嘘も偽りもありません。
今後もこのブログを続けていく上で、いつか具体的に触れることがあると思いますので今は記しませんが、症状が発作的に現れ救急搬送されてから現在に至るまでには本当に様々なものを失ってきました。
簡単に言えば「人」「物」「金」「時間」でしょうか…
もし私が病気にならずに生きて一生を終えたとしたら多少の財や地位は遺せたかもしれません。
しかし、きっと傲慢で頭でっかちな人間であり「人は何故生まれ何故生きるのか」の意味を全くわからいまま今回の現世での一生(修行)を終えることになったのではないかと思うのです。
そのことに気付けたことだけでも生まれてきて病気になった意味があると思えるのです。
繰り返しになりますが決して恰好つけているわけでも偽善でもありません心底そう思っています。
まだまださわり程度でしかありませんが、何にも代えがたい霊的真理という考え方を得られたというこに本当に感謝しているのです。

なぜこの記事を書いたかと言うとテレビのニュースで京都アニメ放火事件の献花のインタビューで年配の男性が
「才能あふれる夢多き若者が多数亡くなった。あまにり不条理で心の持っていきようがない」
と涙されていらっしゃいました。
確かにそうですよね。何の罪もない多くの若者がたった一人の所業で煙や炎にまかれ苦しんで命を亡くす。神も仏もないのではないかと考えるのも当然です。
その様子を観ていて改めて私の人生の行動目標の一つを強く意識したのです。
それは東北地方の鎮魂の旅です。
2011年の東日本大震災では多くの方が被災され命を亡くされました。
あの震災で生き残った方々も様々な心の傷を抱えながら生きていらっしゃいますが、とある情報によると岩手・宮城・福島の海岸線を中心にあの世に戻ることのできない魂が多く存在すると聞いています。
私なんぞはまだまだ修行も足りず本当に小さな小さな存在でしかないことは自覚しておりますが、被災地を訪れ未だ彷徨える御霊に鎮魂の祈りを捧げたいのです。
私なんぞが行ったところで何の役にも立たないかもしれません。
しかしできる事なら一つでも良いので彷徨える御霊をあの世(真の世界)に還っていただきたいと願っているのです。
それを私のライフワークとしたいと考えているのです。
私の師匠は出会った頃、自身は重い心臓病を抱えながら無理をしてまでも地域の彷徨える御霊を浄化させる活動をされていました。
自身は心臓病で遠くには行けないし、商売で除霊や浄化をするのも避けていらっしゃったので、動ける範囲でそのような活動をされておられました。
それは誰に頼まれたわけでもなく当然のことながら無償のボランティア活動です。
私はそのようなことのできる、ある意味特殊な能力を天から授かって生まれた者としては正しと師匠の行動に畏敬の念を持っているのです。
その姿からも私もスピリチュアル(霊的真理)を少しでも学び、少しだけ魂と接する事ができる能力を頂いているのであれば生かされている感謝の心を込めて何らかの具体的な行動を取らないのは失礼であると考えるのです。

またの機会に詳しく書こうと思いますが人は皆、魂の存在です。
人が生きるには一人ひとり必ず意味があるのです。
私が心の病(身体表現性障害)になった事にも意味があるように病気になることにも必ずや意味が存在するのです。
そのことを少しでも多くの方に伝える義務が私にはあるのだと思っているのです。
私は大した人間ではありませんが、今後ともお付き合いの程、宜しくお願い致します。












リアルな夢

癒し
07 /25 2019
みなさんようこそ
海

このブログ「心の病と付き合って」の中の記事でも書いた事がありますが、私は終の棲家にしたいと本気で考えている場所がハワイなのです。
海(水)・空(空気)・時間の流れ・食べ物・人、総合的にこの場所で最期を迎えたいと思っています。
何故にハワイの話をとお思いの方もいらっしゃると存じますが、実は昨夜の夢でハワイでのある出来事のシーンが甦りまして記事にしようと思いました。
夢というのはとかく登場人物も時系列も背景等もメチャクチャな事がほとんどですが、昨夜の夢は実際にあった体験が鮮明に繰り返えされて目が覚め起きた時に非常に驚いたのです。
それは私が三度目にハワイを訪れた時の出来事で今でも記憶に鮮明に残っています。
ある日の朝食にホテルの目の前にあるファストフード店で私が同行していた人達の分まで代わりに購入して席に付いた直後の出来事でした。
実は私はその時に少し機嫌が悪かったのです。
と言うのも、そのハワイを訪れたのは10年勤続社員旅行で同僚や同期など、その行程には50名程の知り合いが同行していました。
私はハワイが三度目ということもあり、仲間内ではリーダー的な役割を担っていました。
そこで二日目の朝のファストフード店でもあり私が代表してオーダーしに行っていたのですが、その時に同じ会社の他のグループの人が私を指さして
「現地の人?どこで知り合ったの?」
と言っていたのが私の耳にも届いたのです。
確かにその時の私は短パンにアロハ、顔は黒く焼けていてレジで談笑しながらオーダーしていましたが、同じ会社の人間に現地の人呼ばわりされる覚えはないと、チョッと憤慨していたのです。
そんなこんなで私が席に着くかつかないかの時に窓から外を見たらクラクションを流しながら交差点を止まらない一台のバスを見たのです。
次の瞬間にバスは交差点奥の信号機に突っ込み停車しました。
ド~ンと凄い音でした。
私はすぐに店を飛び出しバスが突っ込んでいる方向へ走りました。
すると2名の白人の男女(中年)が顔から血を流し倒れていました。
バスと衝突してしまったようなのです。
私は生憎、お財布以外の何も持ち合わせていなかったので、どうしようかと思ったら、近くを通り掛かった観光客数名が海へ向かうのかタオルを持っていたので直ちに止血するように促しました。
倒れた二人は苦痛の表情を浮かべてはいましたが意識はありました。
それとラッキーだったのが、その事故現場が日本で言う交番のある交差点でしたので騒ぎを聞きつけ警察官も数人が直ぐに駆け付けてきました。
そんな混乱した状況の中、警察官が交差点の中がオイルまみれであることを発見したのです。
どうやら、何のオイルかは不明ですが、そのオイルでスリップしてバスは止まれなかったようです。
ほどなく救急車が到着して二人は搬送されて行きました。
見送る時に二人の無事を祈るばかりでした。

その様子を昨日の夢で鮮明にみたのです。
人生はいつ、どこで、何が起きるか分かりません。
日々、無事に生きられることも当たり前では無いのですよね。
全ての出来事に感謝しつつ今日も眠りにつきたいと思います。













スーパー

癒し
07 /24 2019
みなさんようこそ

この記事では病気やスピリチュアル(霊的真理)のことから違うことを書いてしまおうと思います。

と言うのも、この間テレビを観ていたら、夏に食べたい野菜や果物の美味しい物の見分け方や保存方法などが特集されるのを何度か目にし、私もその問題にチャレンジしながら観ていたのですが全問正解でした。
それはそうです。
私は学業卒業後に25年間にわたり小売業界で過ごしました。
そのキャリアの多くは本部機能(店舗運営部・商品部・人事部・総務部)に従事していましたが、現場と言れていた店舗(スーパー)でも一般職から管理職まで述べ8年程働いた経験があるのです。
店舗で働いている時は忙しいとレジ応援で入ることも多々ありましたし、惣菜部門の応援に駆け付けると当時の女性チーフに無理やりギョーザを焼かされたり寿司を作らされたりとこき使われていたのを思い出します。
全ての部門の全ての作業に当然マニュアルは存在するのですが、そこはそれ、大分センスが要求されましたね。
惣菜部門の応援の場合は特に気を付けた事は衛生です。
手洗い、手袋、帽子、マスク、エプロンと徹底した衛生管理が要求されるので、さっきまでレジの応援に入っていたのに次に惣菜になんて時には非常に気を遣いました。
でも今になっては面白い良い経験をさせていただきました。

そんな経緯もあり以前、私の心の癒しの一つとして、よく行くスーパーの完璧なレジ店員さんを記事にさせていただいたのです。
現在の私は心の病(身体表現性障害)の症状には波があり、症状がまったく無い日もありますし、あっても寝込む程ではない状態の日が多くなりつつ、ありがたく思っています。
しかし新たに3年程前からでしょうかパニック障害の症状が出る時が多くなり、対人恐怖症の傾向も顕著にみられます。
買い物に行くのもパニック障害の症状が出ない事を祈りつつ行くので、何か気を紛らわす楽しい目的が必要になるということです。
それで完璧なレジ店員さんということになるのです。
実は今日も買い物に行き、その店員さんのレジで精算を済ませました。
相も変わらず完璧な仕事振りに感動すら覚えました。
一応プロであった私が言うのだから間違いありません(笑)
いや~癒されました。

近く小売業界の時にあった面白エピソードを記事にしますね。
人が多く集まる所では考えられない出来事が起こるものですから…

この記事の最後に、今が旬の「桃」ですがスーパー等で買って帰って食べるまでの保存方法はみなさんどうしていますか?
まさかみなさん…
それって間違えですよ。
山梨県や福島県の桃をお取り寄せでもして食べてみて下さいね(笑)










身体表現性障害と病院

医者との関係
07 /23 2019
みなさんようこそ

世の中では「吉本芸人の闇営業問題」から端を発した、昨日の吉本興業社長の記者会見を経て「吉本という会社の問題」に話がすり替わって世間を騒がせていますね。
テレビ報道を見ていると、誰か冷静に問題の本質は何で、どうして行く事が最善なのかを取り仕切れる人は居ないのか?と不思議に思ってしまいます。
どうか子供たちのお笑いに対する夢や希望を壊すことのないような方向に問題が向かう事を願うばかりです。

さて、今回の記事では「医者と患者の関係」について少々書いてみようかと思っています。

私はみなさんに何度もお伝えしている通り、医学的には「身体表現性障害」で今は身体症?と言うようですが、そのように診断されております。
ではいったいどんな病気なのでしょうか?

「身体表現性障害」とは、心の悩みや葛藤が身体の症状として表現される状態のことをいう。
つまり、何かの病気を思わせるような症状があるが、色々検査しても症状に対応するような異常が見つからず、症状の背景には心理的な原因があると想定される状態。
この場合、症状はあたかも重大な病気があるかのように自覚され病院を何度も受診します。
医師から身体の病気ではない(あるいは症状を説明できるような異常な診察・検査結果は得られない)と説明されると一旦な納得します。
しかし症状が頑固に続くため、しばらくすると「やはり病気ではないか」「前の医師は誤診したのではないか」「もっと詳しく診てもらおう」「もっと専門的は病院に行こう」などと考え再受診・再々受診に至ります。また代替医療の利用もよくします。
よくある症状には消化器症状(腹痛・嘔吐・下痢など)、循環器症状(息切れ・胸痛など)、泌尿器症状(排尿困難・生殖器や周囲の不快感など)、皮膚症状などがあります。
身体表現性障害は症状の出方や捉え方によっていくつかに分類することができます。
■心気障害
 頑固に持続する身体症状があり「がんではないか」「脳腫瘍ではないか」といった心配に陥ります。ちょっとした症状に敏感になり ます。身体化障害が治療を強く求めるのに対し、心気障害では診断にこだわるといった特徴があります。
■身体化障害
 心気障害をよく似ていますが、診断へのこだわりはあまりなく、ともかく症状をなくしたいという希望を強く持っているのが特徴で  す。
■自律神経機能不全
 動悸・発汗・口渇・排尿困難などの自律神経症状がおもに出現します。
■疼痛障害
 長期にわたって強い痛みを自覚します。頭痛・舌痛・胸痛・腹痛・腰痛などがよくみられます。実際に身体疾患や外傷のために疼 痛があるあ(あった)が、その程度が検査所見に比べて強すぎるのが特徴です。
 多くの場合、仕事や家事にさしつかえができ重症になると長期の入院治療を受けることもあります。

ざっとこんな感じなのですが、だからなのか長く診断を受けた大病院に通院していましたが、2時間待ちの10分診療は当たり前でした。
私はこのことが長い間、非常に不満でした。
理由はともかく症状があり辛いのも確かだし、そのことにより仕事や日常生活もままならないのは事実なので、10分で診察が終わらされ快方に向かわないのが納得いかないのです。
そこである日主治医に聞いてみました。
「先生、予約診療なのに待ち時間はえらい多く、待合で見ていると人によっては1時間近くも診察されている時もありますが納得できません」と、すると主治医は
「本当にすみません。理想は1時間に予約患者さん4人でいきたいんですが、病院の規定では7~8人入れるんですよね。ごめんなさい」と。
その時はそれ以上、突っ込みませんでしたが今ならその理由がなんとなくわかります。
一つは「身体表現性障害」もメンタルクリニック(精神科)の領域に入りますが、メンタル(精神)科にも命の危険がある方がいらっしゃるので一人の診察にかかる時間に差が生じるのですね。
私のように辛い辛いと言っていても命の危険は特にない人と鬱病などで自殺等の危険があると医師が判断した人では差が生じて当たり前なのです。
二つ目は病院も商売であるということです。
病院に来る人は患者であることは間違いありませんが、病院からすればお客様でもあるのです。
医療の理想論だけでは病院経営は成り立ちません。

前記した二つは、みなさんからみれば当たり前の事でしょうが実際に患者の立場になるとわからなくなってしまうものなのですね。
どうしても自己中心的に考えてしまいます。

あと医師が嫌がるのは知ったかぶりの患者です。
確かにとんでもない医師もいますし知識があれば言いたくなる気持ちはわかるのですが、医師も同じ人間ですし様々な人がいます。取り敢えず医師の話を聞いて、どうしても相性が悪かったり、納得いかなければ堂々とセカンドオピニオンを希望すれば良いのです。
どうかみなさんも病気の時には医師と良い関係で最善の治療を受けられるようにしてみて下さいね。











弱点

心の病
07 /22 2019
みなさんようこそ

ブログ記事で7月16日付「何にも代えがたい」というタイトルの中で書いたのですが
「のう胞摘出手術」をして20㎏ほど痩せて、「身体表現性障害」の症状もあいまって本当に辛い日々を送る中で「自分の生き方を変えないと病気は治らない」との師匠の指摘を受けて、スピリチュアル(霊的真理)や心の病、様々な病気に関するものや歴史上有名な開祖や著名人、心理学に至るまで様々な本を読み漁りました。
そのことでスピリチュアル(霊的真理)や様々な病気の知識は確かに増えました。
今は必要な時間と行動であったと思えるのですが、その頃は頭でっかちになりすぎて、ある意味傲慢になっていたと感じます。
頭(脳)では何故、心の病(身体表現性障害)と診断名を付けられることになって苦しむのかは理解しているのです。
しかしそこが私の弱点で、心(魂)が真に理解していないのです。
病院に行けば2時間待ちの10分診療に不信感がつのりまくり、周りから本質は病気ではないと言われているにもかかわらず、医者に「症状が辛い辛い」の繰り返しで何故、医者なのに治せないんですかと言わんばかりです。
そうです私の本質(心の中)は何ら変わっていないのです。
ですので一つの会社には25年間在籍しましたが、どうしても症状の出方に波があり幾度となく休職と復職を繰り返しました。
トータルで何年間、仕事を休んだのか今になっては数える事もできません。

この頃は毎朝の日課にしていた先祖供養のために手を合わせ短くお経を唱えることはしていましたが、とにかく義務化していて心がこもっていないのです。
その行為をやれば良いで病気(症状)を治したいが為の下心のもので、心の底から先祖供養をしているなんて嘘にも言えない程度のものでした。
そんな心(魂)をあの世の神様やご先祖代々がわからないはずもなく、身体表現性障害の症状は一向に改善する気配はありませんでした。

そうです、これが私の一番弱い部分なのです。
知識は山とあるのに行動が伴わない「口先詐欺」なのです。

自分で言うのも何なんですが、幼少期から賢く運動神経も抜群で学業も大して勉強もしていないのに上位はキープしているし、小学校一年生から父親に始めさせられた野球でも地域では知られる存在ではありました。
学生時代では児童会長や生徒会長も務め足が速かったので運動会や体育祭では常にヒーローでした。
何でも出来る優等生だったのです。

私の分析では、そんな若かりし時代を過ごしてしまったが故に「俺は他人とは違う」とか「やろうと思えばいつでも何でもできるんだ」という傲慢な思考が身に付き、素直に人の指摘に耳を傾ける心が欠如していたんだと今では反省しています。
ですから心の病(身体表現性障害)と診断されて症状にどんなに苦しんでも、様々な病気になっても、医者に何を言われても、霊能者に指摘されても、何度もお祓いを受けても、師匠に何を言われても結局は何も変わっていなかったのです。
どこかで自分が一番正しいという思考があったのです。
それを妻だけは見抜いていました。

で、この記事の結論というか言いたい、伝えたいことは
この記事を読んでくださっている方で何らかの病を抱えて生きていらっしゃる方、何らかの悩みを抱えて生きていらっしゃる方で何をやっても上手くいかないとか一向に好転しないというのは人生(運命)を変える、いや変えられる最大のチャンスです。
ここを踏ん張れば必ずや幸せは訪れます。
騙されたと思ってそう信じて生きて下さい。


私の経験から人は皆ある意味平等です。
山あり谷ありでも引き延ばせば平坦です。
良い事があれば悪い事もあるプラマイゼロです。
人の価値観もそれぞれですから幸せの大小など気にする必要もなければ比べる必要もありません。
自分が幸せだと感じる事が一番大切なことだと私は思います。
どうか皆さん、何物にもとらわれない心(魂)を得るために共に頑張りましょう。










katsu0509

ようこそいらっしゃいました。
私は中年オヤジです。長年、いわゆる心の病と言われるものと症状と付き合い生きているものです。
その経験、体験を中心にスピリチュアル(霊的真理)を交えて書き、同じように病とお付き合いされている方の何かのヒントになれば幸いとブログを立ち上げました。