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試験

備忘録
08 /31 2019
みなさんようこそ

思うところがあり、今日はある場所に行きたいと考えていました。
そこで最近は心の病「身体表現性障害」の症状が出ているので、自らの車の運転は控えようと基本的に土曜休日が多い息子を誘ってみました。
すると息子は「会社の昇格試験が近いから勉強したいのでまたにしてくれ」と断られました。
それは大事なことですので今日のお出かけは諦めることにしました。
そして息子に「分からない事があれば聞きにきなさい」と告げたのです。
というのも、息子は私が25年間務めた業界と同じ業界に身をおいているからです。
ですから息子の苦労も手に取るようにわかります。
私の在籍していた企業でも係長級になる時と課長級になる時には人事考課とともに昇格の筆記試験がありました。
部長級から上は人事考課と論文と理事面接によるものでした。
私は係長級の試験まではすんなりと合格し企業の昇給モデルケース通りに進んでいました。
しかし課長級試験の受験資格まで来た時には数回つまずきました。
自分で言うのもなんなんですが、実務面では業績もトップクラスでしたし知識も誰にも負けない自負がありました。
でも筆記試験の業界特有の項目の暗記が苦手だったのです。
どうしても実務とはかけ離れた問題でしたので覚えようという気が失せてしまうし、個人的に納得のいかない内容でもありましたので誤認が多かったのです。
その時の反省としては、もっと自分のプライドを抑えて周りのアドバイスや教えを素直に乞えば良かったと今は思います。
昇格するという事は給与や賞与の面でも違うので生活にも直結しますし、何よりも仕事の幅と申しましょうか、責任の度合いが違ってきて決定権などの権限移譲も違うので組織の一員として働くには重要な事柄だったのです。
ただもう一つ課長級の昇格試験につまずいた要因の一つに心の病「身体表現性障害」がありました。
症状を抱えながらの試験でしたので事前の勉強も試験自体も集中が出来ず難儀したのは事実です。
課長級の初めての試験は事前の準備を全くしないで臨んでいたのですから、やはり人生そう甘くはありませんでした。
そんな苦労した経験があるので息子には出来るだけスムーズに行って欲しいという親心と申しましょうか想いがあるわけです。

試験と言えば私も様々な試験を受験してきた経験はありますが、今までの人生で最も真剣に気力も体力も時間も費やし勉強したのは警視庁の警察官採用試験です。
みなさんも公務員の試験とはどんなものか、ご存じの方も多いと思いますが、とにかく出題範囲が広いので猛勉強したわけです。
その成果もあり一次の筆記試験は見事に合格し、あれよあれと最終面接も通り、警視庁の警察官の内定を頂戴したのでした。
しかし、とある事情から警視庁警察官の拝命は辞退させていただいたのです。
もし警察官になっていたらどんな人生を送っていたのだろうと思う事もありますが、人生にタラればはありません。
最終的には自分自身で決断を下したわけですから仕方ありません。
とにもかくにも息子には勉強を頑張ってもらって、悔いのない時間と結果を残してもらいたいものです。
頑張れ息子よ!










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占い

価値観
08 /30 2019
みなさんようこそ

昨日、本当に久しぶりに興味本位でネットの無料姓名判断というのを受けてみました。
私は基本的に占いの類は信じていないというか気にしません。
(占いを否定しているわけでもないですし嫌いなわけでもないので誤解のないように申し上げておきます)
何故なら占いによって将来の運命が変化したり、ここぞという時に行動や判断を占いによって左右させるのではなく、自己責任において決めたいからです。
占いの類に気を取られていると上手くいかない事が起きた時に占いのせいにしたり、弱い心の自分が顔を出し結果を他責にしてしまっては本末転倒だからです。

その姓名判断の結果は一言でいうと「あなたは強運の持ち主で神様に好かれる存在」とありました。
これが当たりなのか、外れなのかは分かりません。
正しいか正しくないかで言えば正しいと思いたいです。
だって曲がりなりにもスピリチュアル(霊的真理)を学んでいて、他人には、この世(現世)は学びの場で魂を成長させ神様に近づくために経験と感動(喜怒哀楽)を積むのが生きる目的ですなんて言っている人間が神様に好かれたくないはずはありません。
それに強運という点で言えば、心の病(身体表現性障害)の症状に長年苦しんでいるのは、前世からの魂の学びの積み残しを克服すべく自らが課した試練であるということからも、それに気付けた事、またどんなに苦しくても今、生かせていただいている事を考えれば強運と言えるかもしれません。
そうなんです、そんなこと言いだしたら皆に当てはまってしまうんですよね。
ものは考えようです。
強運を何度も命拾いしたとか、宝くじを当ててお金持ちになったとか、何かの夢を叶えたとか言えば格好いいし、そう捉える方も多いと思います。
しかし私は繰り返しになりますが、曲がりなりにもスピリチュアル(霊的真理)を学びながら心の病(身体表現性障害)を抱えても生かせていただいていることじたいを強運と捉えていますので価値観が違うんですよね。
でも占いって面白いものなんだなぁ~と改めて感心しました。
だから様々なジャンルの占いが存在するし、これだけ世にあふれていて影響を及ぼすのだから、それだけの魅力(魔力?)があるという事ですよね。
でもやはり私は占いはあくまでも占いという一つのエンターテインメントとして捉えます。
人の運命というのはそんな単純なものではないはずです。
今日の〇月生まれの人の運勢は…なんて一括りにされてはたまったもんではありません。
そんなことで一喜一憂するのは時間の無駄ではないでしょうか。
あくまでも占いは自分自身の行動や心の在り様の参考程度に止める。
全ての結果責任は自分にある(責任主体)を忘れてはいけないのだと思います。
この世(現世)で起こる事全ては偶然はなく必然。
原因があるから結果がある「因果の法則」に乗っ取っています。
私は常に思っている事があります。
「人生あきらめなければ何が起きるかわからない」です。
どんなに上手くいかない時でも、苦境に立たされても、最後に待つ結果が善ければ全て善です。
みなさんはどのくらい占いを信じていますか?










正負の法則

スピリチュアル
08 /29 2019
みなさんようこそ

昨日の記事でも書きました九州北部地域を中心とする大雨は人的被害は勿論の事、家屋や家財、田畑に及ぶまで大変な損害が出ているようです。
被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。
そして、やはりこの地球規模の異常気象をこれ以上エスカレートさせないためにも我々一人ひとりが行動をしていかなくてはいけないと改めて強く感じた次第です。

話かわりまして、昨夜の結構遅い時間に一本の電話がありました。
その相手は30年以上の付き合いのある元職場の先輩で久しぶりに声を聞きました。
近況報告や様子伺いなら時間が時間だけにおかしい、何か特別な理由があるなとは分かりましたが、案の定、私には力になることが難しい問題の話でした。
内容については大変申し訳ありませんが差し控えさせていただきますが、大変、厄介な事案でありました。
電話を切った後、就寝前でありましたので少し心を落ち着けようと内観していると、以前テレビの番組で美輪明宏さんがよく言ってらっしゃった「正負の法則」という言葉を想い出しました。
この「正負の法則」とはスピリチュアル(霊的真理)の世界ではごく当たり前に言われることで、人の一生というのは幸せも不幸も良い事も悪い事も平等に起きて均すと平坦になるというものです。
何故その言葉を想い出したかと言うと、最後にこの先輩に数年前に会った時にはレストランでしたが、妻と子も連れて仲良くしていましたし、食事まで「遠慮なんてするなよ」と御馳走していただき大変、幸せそうにしていた印象が強かったからです。
人には皆、表と裏があることや人には簡単に話さないことがあることは承知していますが、その先輩は昔から豪快に笑い、話し、食べ、飲む方でしたので、常に高い波長を保っていて大好きな人の一人でした。
そんな方の話(相談)でしたから何とか力になりたいという気持ちは当然あるのですが、いかんせん事が事だけに私には断ることしか選択肢はありませんでした。
世の中に「分相応」という言葉があるように自分の器以上の事をなそうとすると必ず歪がうまれます。
また世の中には絶対はありませんので、必ず物事が思った方向に行く保障などもどこにもないのです。
だからと言って石橋をたたき何も挑戦するなと言っているのではありません。
その過程でどれだけの考察や努力があったかが問題なのです。
なので、そのバランスを見極める必要があるという事が言いたいのです。
私も常に自分に言い聞かせていますが、何か事をなそうとするなら、その事をどれだけ本気に思っているのか。
どれだけ準備と努力をしたのかによって結果が変わってくることを覚悟しなくてはなりません。
この世には安易で簡単な奇跡などないのですから。












異常気象

避難
08 /28 2019
みなさんようこそ

またまた異常気象とも言うべき事象が起きましたね。
福岡・長崎・佐賀で大変は大雨が降りました。
今回は台風でもなく、秋雨前線に湿った空気が供給され云々、猛暑が一段落したかと思いきや警戒のしようもないことではないでしょうか。
私が住む関東でもこのところの雨の降り方は以前とは異なると感じています。
最近ではゲリラ豪雨という言葉がありますが、且つての夏と言えば暑い日に夕方近くなると入道雲がモクモクとわいてきてザーっと雨を降らし気温を下げて虹などが出たりして…という感じでした。
しかしこの頃は時間を問わず夜中だろうが朝だろうが滝のような雨が降り止んで、もう大丈夫かと思うとまた滝のように降るなど、何か熱帯地域にでも居るかのような感じです。
やはり異常気象と言わざるを得ないのではないでしょうか。

気象の専門家の中には「もはや異常ではない通常である」と言う方もいたりして本当に怖くなります。
その原因として言われているのが地球温暖化です。
確かに私が子供の頃にあじわっていた暑さとは、このところの暑さは全く違います。
昔も夏は暑いのは暑かったけれど、日本伝統の過ごし方で耐える事ができました。
打ち水しかり、かき氷を食べながらすだれに扇風機、海やプールに入ってスイカを食べて…なんてことで過ごしていたものです。
しかし最近の気象ではそんなことでは熱中症になり命の危険さえあります。
もう日本の伝統文化だけでは暮らせない世の中に気象の面ではなってしまったようです。
ブラジルの熱帯雨林では人間による開発の弊害で火災が世界の大問題になっています。
ただでさえCO2は温暖化の大きな要因の一つとされているのに、更に森林が減れば温暖化を加速させることにつながるでしょう。
これは地球という星に暮らす同じ人類として、対岸の火事では済まされない事ではないでしょうか。
今こそ我々は地球という学びの場所に住まわせていただいているという謙虚な姿勢が求められているのではないかと思います。

私の個人的なことでは、今年の夏は昨年よりも心の病(身体表現性障害)の症状が強く出ています。
これも医学の専門家でも意見が分かれていて「気象病」なるものを唱える方もいれば「全く関係ない」という方もおられます。
個人の意見を言わせていただけば私は気象病なるものは分かりませんが、気象が人体に何らかの影響を及ぼすのは間違いないのではと思っています。
反対派の専門家の方からすると「自己暗示にかけているだけ」とお聞きした事があるのですが、喘息の方が低気圧の接近で発作を起こした現場を何度も見た事がありますし、事実、私自身も台風などがくると症状が強く出る事があります。
自然界から生まれ生きている人間も動物ですから肉体に影響が出るのは至極当然のことだと思うのですが…

とにかく我々人間も地球という星に住まわせていただいていて、様々な恩恵を頂戴しているわけですから、謙虚な姿勢で自然と共生し守っていかなくてはならないのではないでしょうか。
物質、そう形ある物は必ず崩れ壊れます。
それは地球も例外ではないと言えるでしょう。
この地球で起こっている異常気象に私達一人ひとりに出来る事は小さくても、何が出来るかを考え実践していく、この積み重ねしかないのではないでしょうか。
もしかしたらこの異常気象(温暖化)も神が人類に与えた大きな試練(学び)なのかもしれません。
私もみなさんと共に考え、実践していきたいと思います。










魂の歌声

癒し
08 /27 2019
みなさんようこそ

今朝は朝食後に薬を飲み、ソファーでゴロゴロしながらテレビを観ていました。
少ししたら活動(仕事)を開始しようと。
そうしているうちに、また眠ってしまったようで目が覚めたら何と9時半近くにもなっていました。
このところ夜中に何度も目が覚めてしまうので、そのせいだと思いますが、流石に長い二度寝です。

起きてからもしばらくボーっとしていると、つけっぱなしのテレビに「夏川りみ」さんがゲストとして登場してきました。
普段ならテレビを観ていない時間です。
私は夏川さんの歌う「涙そうそう」という曲が大好きです。
夏川りみさんの歌には人を浄化させる力(波長)があるんだよなぁ~なんて、そんなことを考えていると「涙そうそう」を生で歌ってくれたではありませんか。
このところの私は心(魂)のエネルギー不足と同時に、愛の電池切れにより心(魂)が弱っているのは自覚していましたが、歌を聴いているうちに涙があふれ止まらなくなってしまいました。
そんな泣きじゃくった状態のまま、今度は近く出産される関根まりさんに贈る歌として童神(わらびがみ)という曲を歌いはじめました。
もうだめです。
私の涙腺は完全に決壊し涙はあふれ止まらないし、心(魂)にしみわたる歌声に心(魂)震える感覚さえ覚えました。
自分ではそれほど…とは思っていたのですが、相当に心(魂)は弱っていたのですね。
夏川りみさんの歌を二曲聴き、心(魂)は一気に癒され浄化されました。
この今朝の出来事も守護霊様が導いて下さった小さな奇跡(ご褒美)だと確信しています。
私なぞ完璧にはあろうはずがありませんが、出来るだけ正しく生きていると、本当に必要な時に、必要な事が不思議とベストのタイミングでやってくるものです。
それが天の導き、守護霊様たちの粋な計らいなのですね。
改めてこの出来事に神様と守護霊様に心から感謝しました。
そしてまた頑張ろうと元気になれました。
幸せです。
どんな時でも独りぼっち、誰も見ていないなんて事は決してありません。
天は見てくださっているし、守護霊様たちはいつも寄り添ってくださっています。
みなさんも、寂しい、不幸だと嘆きたくなったら守護霊様たちの存在を意識してみて下さい。
そっと力を貸して下さると思いますよ。










命の時間

価値観
08 /26 2019
みなさんようこそ

昨日の記事で私の体調が悪く、生きる勇気とエネルギーチャージをするために、日テレで放送されていた24時間テレビを見て身体的に個性を持つ人たちの様々な挑戦から得ようとしたと書きました。
事実、見ていると「努力次第ではあそこまで出来るんだなぁ」とか、具合が悪いと落ち込んでいる自分に腹も立ったし、とにかく涙がたくさん流れました。
個性のある皆様は一生懸命に生きていて、人生の旅を一瞬の無駄もなく過ごし、経験と感動(喜怒哀楽)を積んで魂を成長させている姿に感動したのでした。
そこで感じたのは「命の時間を大切にする」ということです。
我々はこの世(現世)に魂を成長させる為にきています。
以前の記事にも書きましたが、この世(現世)は経験と感動(喜怒哀楽)を積む場所なので肉体という魂の乗り物を仮て生きているのですが、それゆえに肉体の故障(病気や怪我)がつきまとい寿命というものが存在するのです。
その限りある命(寿命)が大切であることは言うまでもありませんが、だからこそ限りある「命の時間」を無駄にすることは出来ません。
その時間を無駄に使うということは、命を粗末にしているということにもつながってくるのです。
例えば、よく地域や職場・学校などの愚痴や悪口を言う方がいます。
そんな改善のできない生産性のない話を聞いているのは自らの波長も下げますし時間の無駄です。
しかし友人が心底悩み苦しんでいる時に話を聞くのは時には大変重要なことです。
そうここで言いたいのは時間の使い方も取捨選択をきちんとすべきということです。
限りある時間に対して自らを律し、自律して生きなくてはならないということです。
私も未熟で弱くまだまだ自律できていない人間なので、心の病(身体表現性障害)の症状が出ると、辛い、苦しいが先にきて怠けてしまい無駄な時間を過ごしてしまいます。
つまり時間を無駄にするということは、自らの命(魂)を粗末にしているのと同じことになるのです。
私達に大事なのは自らの命(魂)を尊重し生きること。
そう、限りある命(魂)の時間を守ることが出来るのは他の誰でもない自分しかいないのですから。
人生に無駄な経験は一つもありません。
しかし無駄な時間はあるのです。
この一瞬一瞬を大切に込めて生きていきましょう。










生きるエネルギー

心の病
08 /25 2019
みなさんようこそ

実は今日も体調が悪いのです。
心の病「身体表現性障害」の症状(強い浮遊感と倦怠感・胸痛等々)がきつく、ソファーに座っていても大波に揺られる船に乗っているかのような状態が一日続いていました。
最近、また症状の波が大きくなっています。
これは私の人生に影響を及ぼす節目が近づいていることを意味しています。
その時はこのブログ記事の中で内容をご報告していくことになると思いますので宜しくお願い致します。

で、今日は症状の辛さを紛らわす意味もあり日テレの24時間テレビを観ていました。
と言うのも、この番組では身体に様々な障害を持つ人達が一生懸命に生きている姿を見られるからです。
すると私の心の病「身体表現性障害」の症状の苦しさや辛さなど小さいものだと再認識することができるからです。
「天は越える事の出来ない試練は与えない」と言います。
またスピリチュアル(霊的真理)的に言えば、一般的に言う身体の様々な障害を個性と表現します。
身体障害者なんて言い方はしません。
ちょっとだけ人と違う個性があるよという事。
そしてこの個性というのは、私のブログの記事でも何度か触れてきた、私達がこの世(現世)に生まれてきた理由「魂の成長をするため」の成長スピードも五体満足の人より何倍も早くなります。
そんな人生(宿命)をわざわざ選んで生まれてきた勇気には本当に感服しますし敬意を表します。
ですので私が症状が出て苦しい辛いと、しかめっ面していては笑われてしまいます。
そうなんです、私もちっぽけな存在のただの人間なので、時には生きる勇気のエネルギーチャージが必要なんです。
そんな思いでテレビを観ていました。
そして心の病「身体表現性障害」だろうが何だろうが、生かしていただいている事に感謝し明日を迎えたいのです。

病であろうが個性であろうが同じ人間。
その人間が生かせていただいている地球の世界中から、明日には争いが無くなる事を願って今夜も眠りにつかせていただこうと思います。
皆さんにも良き明日がきますように…










埼玉県吉見観音

スピリチュアル
08 /24 2019
観音入口
「安楽寺入口」
全貌

真言宗智山派の寺院
本堂へ
山号は岩殿山。院号は光明院。本尊は聖観世音菩薩で坂東三十三か所11番札所。
関東八十八か所75番札所。
東国花の寺百カ寺埼玉5番。
吉見観音とも称される。

吉見観音三十棟
「三重の塔」

力士像金剛
「入口門の力士像」

本堂に向かいご本尊にお参りをすべくお賽銭を入れ手を合わせ前に立った瞬間から不思議な波動を感じて、強い浮遊感に襲われ立っているのがやっとの状態になりました。
何とか生かされていることへの感謝と自宅の住所と名前とを伝え、おみくじを引くので今の私に必要なメッセージをいただけるようにだけ告げご本尊の前を去りました。
知る人ぞ知る寺院のご本尊だけあって非常なパワーを感じました。












今すべきこと

スピリチュアル
08 /23 2019
みなさんようこそ

このブログ「心の病と付き合って」の記事が今回をもちまして100になりました。
お付き合いくださっている方々、皆さんに心より感謝申し上げます。
文章力も低いですし、誤字脱字も多い、読みづらく意にそぐわないこともおありの事とは存じますが、今後とも心を込めて記事を書いてまいりますので末永くお付き合いのほど宜しくお願い致します。

さてこの記事では昨夜からニュースを見ていて韓国との問題が多く取りざたされていますので、そのニュースに関連したスピリチュアル(霊的真理)的な考え方を書こうと思います。
人は生きて行く上で毎日が判断の連続です。
些細な事から言えば、買い物に行こうと家を出る時に空を見上げたら曇っていた、そんな時に傘を持っていくかいかないかから始まり、重大な判断ともなれば重い病(例えばガン)を医者から告げられた時にどんな治療をしていくのかと多岐にわたります。
私自身のこれまでの人生を振り返っても、正直、あの時の判断は間違っていたと思う事の多いこと。
しかし魂の視点からすれば人生に無駄な経験など一つもないのです。
間違っていたのでは…と思う事であっても「魂の成長」という意味では「経験と感動」を積んだということでは決して間違えではないのです。
少しだけ道を遠回りしてしまったというべきでしょうか、そのことによって見えた景色もあるわけですから。
あと人は難しい局面になると固まる(フリーズする)事が多にしてあると感じます。
ここで判断を間違えたくないという思い、危機管理のつもりなのかもしれません。
でも私の経験上、時間を掛け悩んでみてもあまり上手な方向性を見いだせたことは少ないのが現実ではないでしょうか?
考えれば考えるほど、悩めば悩むほど、ネガティブな事ばかりが思い浮かんだり、どうなるかも分からない先の事ばかり考えたりしていないでしょうか?
登山に例えると、まだ麓にいるのに頂上ばかりを見て険しい上り坂を歩くようなもの。
それでは体力の前に気力が持ちません。

そこでスピリチュアル(霊的真理)の考え方を用いれば、今出来る事、今するべき事に集中するのです。
山登りなら自らの歩む道の一歩先だけを見て歩くのです。すればその積み重ねが頂上に着くことにつながります。
私も心の病(身体表現性障害)の症状が非常に辛かった時は先(将来)の不安ばかりを考え落ち込んでいました。
しかしスピリチュアル(霊的真理)を学んで行くうちに、今という時を込めて生きる事だけに集中するようになり随分と気が楽になりました。
病を抱えていれば尚更ですが人はそう起用な生き方は出来ません。
今出来る事、今するべき事に集中し、それをコツコツとこなす。
その単純な積み重ねが案外、正しい判断だったりするものだと私は思います。
皆さんも何か悩みがあれば、とにかく今出来る事をやりましょう。
すれば必ず結果はついてきます。
私はそう信じます。










2019夏の甲子園決勝

備忘録
08 /22 2019
みなさんようこそ

昨日は私の持病である心の病「身体表現性障害」の症状がきつく、毎日、何かしらの記事を書こうと決めていた事が出来なくて残念な思いをしていました。
しかしながら人間は生きていれば普段健康体であっても多少の体調の変動はあるものです。
ましてやスピリチュアル(霊的真理)の要因を含んだ私の心の病「身体表現性障害」の症状が出る場合はメッセージを含んだ意味合いも強く仕方のないこと。
現実を謙虚に受け止めて、耐えて、経験と感動を積むしかありません。
おかげ様で今日の昼頃から症状は落ち着きをみせて、今は軽い浮遊感が残る程度にまで回復いたしました。
昨日の記事を読んで下さった方にはご報告とともに御礼を申し上げます。

で、先ほどまで高校野球の甲子園大会決勝をテレビで観ていました。
私も6歳から地域のスポーツ少年団で野球を始めてから高校3年生までは本格的に野球をしていましたので、甲子園大会には特別な思いがあるのが事実です。
今まで生きてきて、プロ・アマ合わせれば何千、何万という試合を観たりやったりしてきたわけですが、一つとして同じ試合はないことに感動さえ覚えます。
今日の甲子園大会決勝戦はプロも注目の奥川投手要する星陵対、西の横綱履正社との戦いでした。
本当に良い試合でしたが、野球というものの総合力でほんの僅かに上回った履正社が見事に優勝という結果に終わりました。
本当に僅かの差でしたね。
星陵の投手の奥川君は間違いなくプロ野球に行きますので、今回の準優勝という結果の悔しさは日本の野球界のエースとなって晴らしていただきたいと思います。

私も一応は甲子園を目指して野球をしていましたから分かりますが、甲子園という日本の野球の聖地でプレーできたことだけでも奇跡です。
どんなに努力しても頑張っても夢にまで見ても行きたくてもいけない人の方が圧倒的に多いのが現実です。
それはどんなに実力があっても運命も関わってきますから簡単ではありません。
だからこそ甲子園の地を踏みプレーできたことだけで、勝ち負けだけではない人生という旅の経験と感動を積めた事に感謝し生きていって欲しいと切に願います。

余談になりますが、私の場合は高校野球までして某大学と某社会人チームから、一応、入部のすすめの声は掛けていただきましたが、とある理由があり就職の道を選びました。
そんなこともあり、勝ち負けだけではなく、元気に野球が出来る事に感謝してもらいたいという思いが強くなってしまいます。
土の匂いのするグラウンドをただただ無心で白球を追いかけている、あの時の想いを心の病「身体表現性障害」の症状などで苦しい時に想い出す度に幾つになっても勇気が湧いてきたものです。
スピリチュアル(霊的真理)を学んでいくうちに更にわかってきました。
物質という形ある物はいつか必ず壊れて失います。
しかし経験と感動(喜怒哀楽)という心(魂)の蓄積は壊れる事もなければ失うことも決してありません。
誰にも何があっても奪うことも出来ないのです。

この世(現世)を生きていれば病気も含め嫌な事や辛い事、苦しい事も多々あります。
それが現実です。
しかし、その中にも少しの良い事、楽しい事が幸せを感じられる至福の時です。
人生という旅をトータルで見ればプラス・マイナスゼロ!
それなら不幸の数を数えて生きるのではなく、幸せの数を数えて生きた方がどんなに豊かか…
私も心の病「身体表現性障害」の症状で苦しい時でも生かしていただいている事に感謝し幸せだと思って生きるようにしますから、これからも一緒に生きましょうね。
どうしても辛い時には私でよければコメントでもお寄せ下さい。
可能な限り寄り添わせていただきます。
最後に2019年夏の甲子園優勝校「履正社高校」本当におめでとうございます。










katsu0509

ようこそいらっしゃいました。
私は中年オヤジです。長年、いわゆる心の病と言われるものと症状と付き合い生きているものです。
その経験、体験を中心にスピリチュアル(霊的真理)を交えて書き、同じように病とお付き合いされている方の何かのヒントになれば幸いとブログを立ち上げました。